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雑煮の餅は丸派? 四角派? 東西で形が違う理由とは
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教えてくれた人:和漢 歩実
お正月に食べるものといえば雑煮。雑煮の名は「さまざまなものを雑多に煮た料理」が由来しているといわれています。地域性が強い郷土料理で、具材やだしの味はそれぞれの家庭によって、さまざまな違いがあるでしょう。とくに餅の形は、東西で分かれる傾向にあるようです。理由はなんなのでしょうか。栄養士で元家庭科教諭の和漢歩実さんに伺いました。
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古くは丸餅が主流 角餅は江戸時代に誕生?
雑煮の起源には諸説ありますが、室町時代に始まったとの説が有力です。京都では公家のもてなし料理、上級武家ではハレの日を祝う慶事料理として、正月に限らず食べられていたといわれています。正月料理としての雑煮は、大晦日に神前に供えた餅や野菜、魚などを元旦に下げてひとつの鍋で煮込んだもので、江戸時代になると庶民の間でも食べられるようになりました。
雑煮の主役といえば餅です。もともと日本の餅は、丸い形をした丸餅が作られ、お正月の神様へのお供えや年玉として用いられました。丸い形には「角が立たず、円満に過ごす」との願いも込められているそうです。しかし、江戸時代になると、餅を平たく伸ばして切り分けた角餅が江戸で作られるようになります。
その誕生にはさまざまな説がありますが、角餅が作られるようになった理由として、主に次の3つが考えられています。一つ目は餅作りの効率化です。餅を一つひとつ手で丸めて作るよりも、平たく伸ばして切り分けるほうが時間をかけずに作れること。二つ目は運搬のしやすさです。角餅にすることで持ち運びしやすくなり、広まっていきました。三つ目は武家文化の影響です。平たく伸ばした「のし餅」を切って作ることが、「敵を討ちのめす」ことに通じて好まれたといわれています。
こうして、角餅は江戸から江戸文化の影響が強い東日本の各地に広まり、京都文化の影響がある西日本の丸餅と分かれるようになったようです。
もちろん地域によって例外があります。東側でも、京都文化の影響が強い山形県庄内地方、つきたて餅の風習がある岩手県一関市などは、丸餅が主流です。また、西側でも高知県(土佐)と鹿児島県(薩摩)では、江戸文化の影響から角餅を使う傾向があります。そもそも雑煮に餅を使わない風習が残る地域や、東西の境界となる岐阜県、石川県、福井県、三重県、和歌山県付近では、角餅も丸餅も使う地域があるようです。
作り方や具材、汁もさまざま 地域色豊かな郷土料理
また、餅を「焼く」のか「煮る」のかも違いがあります。傾向としては、東は「角餅を焼く」、西は「丸餅を煮る」ことが多く、その境目の地域や、独自の風習が残る地域によっては「角餅を煮る」「丸餅を焼く」ところもあるようです。
雑煮の汁もさまざまです。昆布だしのみそ仕立ての地域、いりこやカツオ節のだしでしょうゆ仕立てのすまし汁にする地域、小豆汁仕立ての地域など、風味豊かなお雑煮が全国にあります。ちなみに、みそ仕立ては「みそがつく(=失敗する)」ことを連想することから、武家文化の影響がある東日本ではすまし汁が多いとの見解も。
雑煮に入れる具材は、その土地でとれる食材を用いることが多いですが、縁起を担ぐこともあります。たとえば、「名をあげる」青菜、「株を上げる」根菜のカブ、「出世魚」のブリや稚魚の「福来魚」であるフクラギ、「福をかき入れる」二枚貝のカキなど。先人たちの願いが詰まった雑煮の数々が、今も全国各地に受け継がれています。
【参考】
「aff(あふ)」2020年1月号(農林水産省 大臣官房広報評価課広報室 編集・発行)
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2001/pdf/aff2001_all.pdf
(Hint-Pot編集部)
和漢 歩実(わかん・ゆみ)
栄養士、家庭科教諭、栄養薬膳士。公立高校の教諭として27年間、教壇に立つ。現在はフリーの立場で講師として食品学などを教える。現代栄養と古来の薬膳の知恵を取り入れた健やかな食生活を提唱。食を通して笑顔になる人を増やす活動に力を注いでいる。
ブログ:和漢歩実のおいしい栄養塾