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188センチの恵まれた体を作った“おふくろの味” プロ野球選手が地元の新鮮な魚介より恋しく思う母の手料理とは
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忘れがたい料理に、母が作ってくれた“おふくろの味”を挙げる人は少なくありません。プロ野球・埼玉西武ライオンズに所属する黒田将矢選手は、新鮮な魚介類の宝庫である青森県むつ市生まれ。ホタテやマグロの刺身などが毎日、家庭の食卓に並ぶ環境で育ちました。しかし、当たり前すぎて、子どもの頃は魚介類以外の料理が好きだったようで……。188センチの恵まれた体の成長を支えた好物とは、なんだったのでしょうか? 黒田選手の“おふくろの味”について伺いました。
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魚介類の宝庫である青森県むつ市出身 ホタテのみそ汁も食卓に
黒田選手の出身地・むつ市の名産品といえばホタテやヒラメ、すぐ隣にはマグロで有名な大間町があります。さぞかし、子どもの頃から新鮮でおいしい魚料理三昧だったのでしょう。
「もちろん魚は大好きで、夕食だけでなく朝食から出てきました。ホタテやマグロとか刺身は大好きで、出てこなかった日は文句を言って食事しない日もあったくらいですから」と苦笑いを浮かべるように、やはり魚介類は家庭の食卓に欠かせない食材だったようです。
なかでもホタテは格別です。複数の河川が流れ込む陸奥湾で獲れる魚介類は、栄養豊富な環境で育った逸品として知られ、むつ市のふるさと納税の返礼品でも上位を占めています。「バーベキューでは必ず登場しますし、うちではふんだんに使ったみそ汁も出てきます」とうらやましい限り。ちなみに、ホタテは半分に切って貝ヒモごと入っているので、いいだしが出るそうです。
“おふくろの味”といえば…? 意外な答え
常においしい魚介類が食卓に並んでいた黒田家ですが、「むしろ当たり前すぎて。だから逆に魚じゃないものを食べたかったのかもしれません」と、子どもの頃を振り返ります。黒田選手が“おふくろの味”に挙げたのが、母親の真奈美(まなみ)さんが作ってくれた「ポトフ」でした。
ポトフとは、フランスの家庭料理のひとつ。鍋に塊のまま、または大きめにカットした牛肉を入れ、野菜や香辛料を加えて長時間コトコトじっくりと煮込む、身も心も温まる味わい深い煮込み料理です。
「お店で出てくるようなものではないですが(笑)、ジャガイモとか野菜が大きくカットされていて食べごたえがあります。うちのポトフには肉の代わりにソーセージが入っています」
実は黒田選手は、煮物などでも塊で入っている肉があまり得意ではないそう。黒田家のポトフは、塊の肉が苦手でも食べやすいようにソーセージを使ってアレンジした、母の愛情あふれる一品。しっかりと塩味をきかせたものだそうです。
現在の生活は、球団の「若獅子寮」が拠点。「寮で出てくるポトフもおいしいんです。でも、食べる量は家のポトフのほうが多くなるし、おいしく感じてしまうんです」と少々申し訳なさそう。
ほかにも“おふくろの味”として、「ジャガイモは太めの千切りに、ウインナーと一緒に塩コショウで炒めたものに青海苔を振ったもの」を挙げた黒田選手。いわば、黒田家流の「ジャーマンポテト」といった感じでしょうか。大好きなおかずだといいます。
故郷の“ソウルフード”も大好き ドーナツ、馬刺し、カレーなど
黒田選手にとって、母の手料理に加え、忘れられない地元の味もあるようです。そのひとつが「フライボール」。1929(昭和4)年にむつ市の菓子店で誕生し、いまや市民のソウルフードといわれる、小さなあんドーナツです。「これが大好きで、よく食べていましたね」と懐かしそうに振り返ります。また、むつ市周辺でありませんが、青森県南部には「馬肉文化」があり、「馬刺しもよく食べていた」とのこと。
そして、「海軍カレー」も「お祭りとかに行くとよく食べていました」と話します。海上自衛隊が曜日を忘れないために、毎週金曜日(土曜日の場合もあり)に部隊内で提供されることで知られています。神奈川県横須賀市、広島県呉市と並び、むつ市にも海上自衛隊の大湊地方隊があり、近年は「ご当地グルメ」としての普及を目的に、艦艇で食べられている味を再現した店舗が市内にも数軒あるそうです。
“おふくろの味”に、母の味、地元の味。こうしたおいしい食事が、身長188センチの立派な体の基礎を作る一助になっていたのかもしれません。
2004年1月24日、青森県むつ市生まれ。投手、背番号57。小学3年生で野球を始め、八戸工業大学第一高校では2年生の秋からエースとして活躍。秋の県大会では8強、3年生の春に準優勝、同年夏には4強で甲子園出場は叶わなかった。卒業後の2021年にドラフト5位で埼玉西武ライオンズに入団。1年目の2022年はイースタンリーグに10試合登板し、1勝3敗、防御率8.20。2年目の2023年は同13試合に登板し、3勝3敗、防御率3.93と成績をあげ、フレッシュオールスターに選出されたが、右浅指屈筋腱肉離れで辞退した。同年8月、3軍戦の東日本国際大学戦で、非公式ながら自己最速の157キロをマークした。そのほか球種は落差のあるフォーク、スライダー、カーブ。下北半島出身では初のプロ野球選手となった。
(芳賀 宏)