仕事・人生
社長のコスプレが話題 「もっと楽しんでもらいたい」 創業85年の砂糖菓子メーカーが宣教師に扮する理由
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金平糖の歴史を学んだり、実際に作る体験ができたりする「コンペイトウミュージアム」。そこで宣教師“フロイスしおり”に扮して話題となったのが、ミュージアムを運営する大阪糖菓株式会社の3代目社長、野村しおりさんです。さまざまな分野で活躍する女性たちにスポットを当て、その人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。後編では、宣教師“フロイスしおり”として伝えたい思いについて伺いました。
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宣教師“フロイスしおり”の誕生秘話
野村さんが父・卓さんが2代目社長を務めていた大阪糖菓株式会社へ正式入社した2006年頃、関西で話題になっていたのが、2003年に大阪の堺市と八尾市にオープンした「コンペイトウミュージアム」でした。
「会長は当時、これから進む少子化や人口減少を非常に危惧していました。そうなったら、お菓子が売れなくなってしまうと。金平糖の歴史や文化、製造工程をお客様に知ってもらうために作ったのが、コンペイトウミュージアムでした」
旅行会社が主催する観光バスで団体客が訪れるなど、個人から団体まで多くの人に親しまれていたコンペイトウミュージアム。訪れる人に「もっと楽しんでもらいたい」という思いから、会長自らがコンペイトウ博士や職人として、金平糖を日本に伝えた宣教師に扮し、金平糖の体験教室を行うようになったといいます。それが、宣教師“フロイス”の始まりでした。
そんなある日、ちょっとしたハプニングが起こります。堺と八尾にあるミュージアムで、同時に宣教師フロイスの依頼が入りました。すでに会長は八尾での出演が決まっており、堺を訪れる団体客の対応をどうするのか、野村さんは悩んだといいます。
「どちらもおもてなしできたらいいなあと考えていたんです。でも会長はいないし、どうしよう、と。そんなとき、会社の記念行事の際に母が着用した南蛮服があることがわかったので、それを着用して私が出ることにしたんです」
見よう見まねでやった宣教師“フロイス”の代役。これが好評を博したことで、以後、継続して行うようになったそうです。
コロナ禍で来場者は激減も、現在では「戻ってきている感覚」
堺市と八尾市のコンペイトウミュージアムは、金平糖の伝統と文化を学ぶことができると好評なことを受け、2012年には「コンペイトウミュージアム福岡」がオープン。3施設とも連日多くの方に親しまれていました。
しかし2020年、コロナ禍により、大人数での体験教室を開くことが出来なくなってしまいました。そこで、内容を変更し、実験的な要素を組み入れることに。2種類の金平糖を作ることができる個人向けの体験教室に生まれ変わりました。そのため、現在では宣教師フロイスが登場するのはイベント時のみだそうです。
「イベントのときは宣教師やピンク姫、ゆるキャラにもなったりして、うまく住み分けしながらやっています。もちろん宣教師“フロイスしおり”も続けていこうと思っています」
有料体験を利用した過去最多の来場者数は、3か所合わせて年間約2万5000人。団体客の受け入れをストップしたコロナ禍では、来場者数は激減したものの、コロナ禍が落ち着いた現在では、「体験とお買い物のお客様は1万5000人まで戻っていて、今年は今のペースでいくと体験だけで1万5000人、お買い物を含めると2万5000人ぐらいの方がご来館されるのでは……」と野村さんは手応えを感じています。