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仕事・人生

ウェブデザイナーから藍染職人へ 心の整理ができないまま家業を継ぐことになった女性の決意

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・出口 夏奈子

父から跡を継いだ京都ほづ藍工房・2代目代表の吉川佳代子さん(右)【写真提供:吉川佳代子】
父から跡を継いだ京都ほづ藍工房・2代目代表の吉川佳代子さん(右)【写真提供:吉川佳代子】

 36歳のときに、ウェブデザイナーから藍染の世界へと飛び込んだ吉川佳代子さん。2年前から代表を務める京都ほづ藍工房は、藍染体験が人気です。インバウンドが再開した今、多いときには1か月に200人以上が藍染体験に訪れるといいます。さまざまな分野で活躍する女性たちにスポットを当て、その人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。前編では、吉川さんが父の仕事を継ぐことになった経緯について伺いました。

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父の突然の死 心の整理もできないまま継いだ家業

 年齢を人生の転機として自分で決めることもあれば、ある日突然、転機が訪れることもあります。吉川さんは39歳のとき、父の死という予期せぬ事態に見舞われたことで急遽、父が立ち上げた工房を継ぐことになりました。

「突然、父が脳内出血を起こし自宅で倒れ、そのまま亡くなってしまったのです。急遽、父がやっていた工房を継ぐことになりました。あまりにも突然の出来事だったので、父がすでに受けていた仕事や藍染体験の依頼などもたくさん入っていて、すぐにその対応に追われることに。気持ちが定まらないままでしたが、誰かがやらなければという思いで継ぐことになりました」

 吉川さんが継いだのは、京都ほづ藍工房株式会社。幻といわれる京の水藍を復活させて「京保藍」としてブランド化し、藍の栽培、染料化から藍染加工や体験・販売を行っている工房です。

 以前、吉川さんはウェブデザイナーとして独立し、仕事をしていました。子どもの頃は、父親が自宅で作業をしていたこともあり、「染め物の仕事をしているな、くらいの認識でした」という藍染。20代後半、ウェブデザイナーとして自信がついてきたときに、いつかはオンラインショップを作って運営していきたいという気持ちが大きくなってきたそうです。

 その頃、父の仕事の藍染に興味を持ち始め「父の制作した藍染のアイテムを販売したい」という思いが強くなりました。思い切って、それまでお世話になっていたデザイン事務所を辞めてウェブデザイナーとして独立、藍染のオンラインショップを作り始めていました。そのときに染め方の手ほどきを受けたことはありましたが、まさか自分が工房を継ぐことになるとは、夢にも思っていなかったといいます。

 しかも亡くなる約3か月前、「父とちょっと対立をしていた」と振り返ります。

「父は楽しいことが大好きで、ポジティブモンスターみたいな人でした。みんなの前に出て、いろんなことをやりたいという思いが強い人。だから、やりたいことがあったら確実にやる有言実行タイプで、いつも父の周りにはたくさんの人が集まってきていて、みんなから愛されていました。でも、父は自分のやりたいことを次から次へとやる人なので、仕事をどんどん私に振ってきていて、私はイベントの広報や経理・事務・雑務に追われて自分の仕事ができない状態でした。それで、『少し落ち着こうよ』とけんかもよくして、それ以外にも問題が山積みだったこともあり、父から少し離れようと工房の経理・事務は担当しながら、父が亡くなる前の3か月間は違う仕事に就いていました」

 そんななか、突然訪れた父の死、そして家業の継承。心の整理ができないままで、その戸惑いは大きかったそうです。