仕事・人生
転機となったのはドイツでの「しなくても良かった体験」 乗り越えた経験から得たものとは
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パソコンが一般に普及し始めた約20年前から、自治体や公的機関でITインストラクターとして活動してきたデジタル活用コンサルタントの小林玲子さん。現在は女性経営者や中小企業をはじめ、社会のITリテラシー向上のための企業研修などを行う株式会社エアフォルクの代表を務めています。そんな小林さんは帰国子女。中学3年生から高校時代をドイツで過ごしました。実はこのときの10代の経験が「転機になった」と振り返ります。さまざまな分野で活躍する女性たちにスポットを当て、その人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。前編は、今も原動力になっているドイツでの勉強漬けの日々について伺いました。
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初めての挫折 中学3年生で入学したドイツの日本人学校
スマートフォンもまだなかった時代に、いち早くIT講師として活躍していた小林さん。その「なぜ?」を尋ねる前に、転機となった出来事について聞いてみると、即座に「ドイツの学校に行かされたこと」と返ってきました。
「日本人学校の同級生の数は20人弱。みんなは大学進学を考慮して中学卒業を機に帰国していきました。なのに私だけが現地の高校に進学したんです。大変だったのは、そこでの勉強。学校側もいきなりドイツ語も話せない日本人が入学してきて困ったと思いますけど、私だって大変でした。そこで言われたのが、『半年だけ猶予を与えるので、半年間でドイツ人と同じレベルの語学力を身につけてください』というものでした。そこから地獄のような日々が始まったんです」
父親の海外赴任に伴い、小林さんがドイツへ渡ったのは中学3年生の春でした。ドイツへ行くことを告げられたとき、「わーい、海外に行ける」と楽しみにしていたと振り返ります。中学受験をし、埼玉から東京の中学校に通っていたものの、同じことを繰り返す日々に、子どもながらにマンネリを感じていたといいます。
「もちろん友達と離れるのは寂しいですけど、新しい学校に行けば、すぐに友達はできると思っていました。ただ、ドイツという国がどこにあるのか、ヨーロッパであるということさえ、当時は知りませんでしたけど(笑)」
4月に現地の日本人学校に入学すると、クラスメイトはみんな海外を転々としてきた人ばかり。語学力はもちろん勉強もできて、みんなすごく優秀だったそうで、人生で初めて落ちこぼれを経験したといいます。
「私自身、中学受験の経験もあり、日本にいた頃は、勉強は苦にならないほうだったと思います。なのに、あのクラスに入ってみると『勉強ができない子が来ちゃった』みたいな感じで。どんなに頑張っても、どうやっても敵わないという感じだったんです」
「帰りたい……」。心から思ったと振り返ります。