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仕事・人生

祖父から父、そして娘へ 関西を中心に人気の「コンペイトウミュージアム」 運営会社の3代目が父から教わったこととは

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・出口 夏奈子

南蛮服に身を包み、宣教師“フロイスしおり”に扮する野村しおりさん【写真:野村しおり】
南蛮服に身を包み、宣教師“フロイスしおり”に扮する野村しおりさん【写真:野村しおり】

 戦国時代に南蛮菓子としてポルトガルから伝来したとされる砂糖菓子「金平糖」。その歴史や製造工程を学ぶことができる「コンペイトウミュージアム」で宣教師フロイスに扮した“フロイスしおり”として注目を集めているのが、大阪糖菓株式会社の3代目社長、野村しおりさんです。さまざまな分野で活躍する女性たちにスポットを当て、その人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。前編では、3代目社長に就任したいきさつについて伺いました。

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戦時下では出兵時に持って行ったといわれる金平糖

 金平糖作りを体験できる「コンペイトウミュージアム」は全国に3か所、大阪府八尾市と堺市、そして福岡県福岡市にあります。運営するのは1940年に菓子卸問屋として創業した大阪糖菓株式会社。初代社長は野村さんの祖父・三男さんでした。

「戦後すぐに金平糖を作りたいと、釜を仕入れたといいますが、値段の折り合いがつかずに釜だけが残った状態になったそうです。『で、どうする?』と考えた結果、『作っちゃえ!』と金平糖を作り始めたと聞いています」

 当時は貴重だった砂糖ですが、戦時下では「栄養価が高く、糖分も摂れるうえに持ち運びがしやすい」ことから出兵時に持って行ったともいわれており、野村さんいわく「戦地で日本の四季を表していたという金平糖のカラフルな色を見て日本を感じることができ、それが心の安定につながったともいわれている」そうです。

 そんな歴史を持つ金平糖を初代社長の祖父、2代目社長で現会長の父・卓さんから、3代目社長を引き継いだのが、ひとり娘の野村しおりさんでした。

初代社長の祖父と現会長の父 真逆の性格を持つふたりから学んだこと

 幼い頃から、祖父と父の経営者としての姿を見てきた野村さん。その印象についてたずねると、「初代である祖父と、会長である父の性格が真逆で。初代はめちゃくちゃ怖かったですけど、会長は時代を先取りするアイデアマン」だと評します。

「初代はもう目を見て話せないぐらい、とにかく怖かったんです。現実的でそろばんを弾くのが得意というような細かい感じでしたが、対照的に会長は常に勉強していて資格をたくさん持っているのですが、アイデアがたくさん浮かぶ人なので企画書を書くのが好きで、サービス精神が旺盛で、人を楽しませたいという思いが強い人です」

 そんな会長から教わったことは、「常にアイデアを考えること」。次から次へとアイデアが浮かんでくる会長は、「10個のアイデアがあるうち、1個でも当たったらラッキーやと思っとき」と言うほどアイデアを大切にしていたそうで、常に考えをめぐらせていたといいます。

「たとえば、小学校高学年のときに、『お好み焼きできたで~』と言って持ってきてくれたのは、お好み焼きに見立てたパンケーキでした。ソースはチョコレートで、青のりは緑色のザラメ。ただ、発想はおもしろいのですが、そういったものを何度も何度も試食させられるわけですから、身内としては正直つらいものがありました」

 さらに、「遊びに行くぞ」と言われて行った先は展示会や商品の納品先。いつも何かしら仕事が絡んでいた状況に、「子どもの頃はすごく苦痛だった」と語ります。