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仕事・人生

「赤ちゃんになったような気分でした」 片言で韓国へ移住した日本人女性 グローバルビジネスを成功させるまで

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部

韓国ブランド「SURGERY」のコンサルティングをする野田佳代さん【写真:Hint-Pot編集部】
韓国ブランド「SURGERY」のコンサルティングをする野田佳代さん【写真:Hint-Pot編集部】

 とどまるところを知らない韓国ブーム。いまや韓国発のファッションやコスメが、日本にいながら手軽に手に入るようになりました。そんなブームの陰の立役者となっているのが、韓国の最先端トレンドアイテムを日本へ紹介するなど、アパレル貿易を展開する株式会社F.GROUND代表の野田佳代さんです。東京とソウルを拠点に、卸販売だけでなく、ブランドコンサルティングなども行う野田さんのもとには仕事の依頼がひっきりなしに舞い込みます。2人の子育てをしながら、事業を拡大していく野田さんの原動力とはいったいなんなのでしょうか。

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米国出張で目にした新しい世界

「私は普通で、むしろ劣等感しかないんですよ」

 韓国ブランドのポップアップショップを日本の百貨店に誘致するなど、華やかなファッションの世界で活躍している野田さん。その一方で、自身のことをそう評します。

 野田さんは高校時代に美術や舞台芸術に興味を持ち、女子美術大学短期大学部に進学。短大ではファッションのコースへ進み、学生生活を送りながら、スタイリストのアシスタントとして2年間働きました。

 その後、新卒で大手アパレル企業に就職。就職氷河期の時代だったからこそ、一部上場企業で働きたいと目標を据え、就職活動を乗り越えたといいます。その会社で、今にもつながるさまざまな経験をすることができたと野田さんは感じています。

「デザイナーやバイヤーとしてセレクトショップの部署にいたので、ニューヨークへ出張することもしばしば。パトリシア・フィールド(衣装デザイナー)やリンジー・ローハンなど、世界的なセレブと一緒に仕事をしたのはいい思い出です。それまで見たことがない世界を見ることができて、震えるくらい感動しました」

 米国出張を通して、グローバルビジネスを学びたいと思うようになった野田さん。入社から10年以上が経過した頃、ステップアップするために別の大手アパレル企業に転職を決めます。すると、まもなく大きな転機が訪れました。

韓国移住で感じた「仕事を絶対に失いたくない」という思い

 仕事で展示会の案内をしていた最中、友人の紹介で韓国から出張中だった現在の夫と出会いました。当時、韓国のラグジュアリーブランドで海外マネージャーを務めていた夫とすぐに意気投合。まもなく結婚を決意し、会社を辞めて夫が住むソウルへ移住することになります。

「韓国に住むことを決めたとき、米国で暮らす友人から『海外に住むなら泣くことを覚悟しろ』って言われたのですが、その言葉の通り、移住して1年は泣いてばかりいました。仕事もなく、韓国語がままならないのであいさつしかできなくて、赤ちゃんになったような気分でした」

 すぐに語学学校へ入学したものの、夫が韓国人だったため、日本人コミュニティに加わることがなかったという野田さん。そのため、複数人が集まると会話に入ることができず、疎外感を感じることも少なくなかったといいます。しかし、野田さんはそうした状況にめげることなく、自身の強みをいかそうと邁進します。

「バックボーンが何もないところへ行ったからこそ、仕事を絶対失いたくないって強く思ったんです。そこで、私は韓国語と日本語を並べて書いたカードを持って、韓国のアパレルブランドに単身、売り込み営業を始めました」