仕事・人生
産婦人科医1年目の女性医師 アナウンサーや語学を活かした仕事より医師を選んだ理由
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かつては“男性社会”といわれた医療の世界。近年は女性医師も増えてきたといわれていますが、まだ全体の20%を超えるほどです。兵庫県出身の山田千聖(やまだ・ちさと)さんは医科大学を卒業後、2年間の研修医を経て今春から産婦人科医としての第一歩を歩み始めました。どのような思いで医師を目指すことになったのか、また医師となって目の当たりにした現実と悩み、その先に見据える夢についてお聞きしました。
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高校2年生で医師を目指すと決心
山田さんが初めて出産に立ち会ったのは、医師の卵として学んでいた大学時代でした。
「人って、ここまでもがき苦しみながら(子どもを)生むものなんだ、こんなに大変なんだ。衝撃と同時に、すごいことだと感動して、誕生する喜びを手伝いたいと思ったのです」
2022年に医科大学を卒業後、2年間の研修を終え、現在は都内の大学附属病院で産婦人科医師として日々、現場で多くを学んでいます。医師として充実した日々を送る山田さんですが、子どもの頃から医師を目指していたわけではありません。
小学校から高校まで兵庫県内の女子高校に通っていた山田さんは中学時代、英語弁論大会で全国大会に出場。中学校から高校時代にかけては「English Drama Club」の部活動で演劇に取り組みました。放送部の部長も務め、高校の先輩にフリーランスで活躍する女性アナウンサーがいたこともあって、漠然と「英語を活かした国際的な仕事か、アナウンサーのような仕事をしたい」と思っていたそうです。
しかし、人生の進路を考えたときに胸に去来したのは「人に感謝される仕事がしたい」「人と対話のできる仕事に就きたい」「女性が活躍できるところで働きたい」――という思いでした。その思いをすべて満たす職業を考えた結果が、医師だったといいます。
山田さんが通っていた高校は、1学年約120人のうち多くが推薦での進学を目指し、医学部を目指すのは5人程度。高校2年生で理系を選択したのは医学部を目指すと決めたからでしたが、「その時点でマイノリティでしたね」と笑います。それでもあえて狭き道を選んだのには、祖父の存在がありました。
習い事、部活動は辞めずに受験勉強と並行 祖父がロールモデルに
大阪で昨年まで外科と一般内科の開業医をしていた祖父こそ、山田さんの原点。
「患者さんと接している姿や、家にも電話がかかってきて感謝されたり、手紙が来たりするのを間近で見ていました。開業医なので、地域の人の役に立っているのもよくわかりました」
幼少期から習っているクラシックバレエとピアノ、部活動も続けながら「どうしても現役で合格する」と心に決め、必死に受験勉強に挑み、晴れて医学部への進学が決まりました。
とはいえ、医学部での6年間の学生生活は、入学してからも勉強が大変。「1科目でも落とせば進級できない緊張感もあります。遊びもしましたが、年に2度の試験は1か月半前くらいから一日中、机に向かっていました。そのあたりも、仕事以外ではゴルフやカメラなど趣味が多彩で、メリハリをつけていた祖父に影響されているかもしれません」と振り返ります。
今では同じ医師となったことを喜んでくれるという祖父。「私のロールモデル。今と治療法は変わっていますが、患者さんへの接し方とか通じるものは同じ。いろいろ教えてもらっています」と畏敬の念を持っています。