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仕事・人生

「育児をした記憶がない」 仕事に邁進する30代女性が覚えた葛藤 米農家転身で手に入れた充実の生活とは

公開日:  /  更新日:

著者:芳賀 宏

刈り取りを終えた西田さんの田んぼ。浅間山をのぞむ壮大な景色も印象的【写真:芳賀宏】
刈り取りを終えた西田さんの田んぼ。浅間山をのぞむ壮大な景色も印象的【写真:芳賀宏】

 長野県東部の立科町で生まれ育ち、観光に関わる仕事に携わっていた30代の西田理絵さんは、4年前に一念発起して米農家に転身しました。代々受け継いできた田んぼを守りながら、家では一児の母として奮闘しています。米農家への転身や自身のキャリアへの思い、育児と両立することの大変さなど、お話を伺いました。

 ◇ ◇ ◇

途絶えさせたくない―祖父の代から続く田んぼを継ぐ

 細長い地形で高低差のある立科町。標高1500メートルの女神湖や白樺湖周辺は、リゾート地として知られ、観光が町の基幹産業です。一方、標高約700メートルの里には、水田が広がり、リンゴの産地でもあります。天気が良い日には、壮大な浅間山が見えるなど四季折々の自然の表情を味わえるのも、町の魅力の1つです。

 その地で、西田さんは4年目となった米の収穫を終え、少しだけホッとした冬の時期を過ごしています。現在扱う水田は約80アール(8000平方メートル)。年間約4.5トンのコシヒカリを収穫しています。

 離農者が増えているのは立科町に限ったことではありませんが、西田さんが米農家になったきっかけは、祖父の代から続いていた田んぼを「辞めるか、否か」の選択を迫られたことでした。

「かつては祖父と母親が続けてきて、祖父が亡くなってからは父が兼業でやってきました。父が独立して(西田さんの)弟と会社を興し、還暦も迎えていわゆる終活を考え始めたときに、『田んぼをどうする?』という話になりました。自分のなかで慣れ親しんできた田んぼを失っていいのだろうか……と考えたのです」

 子どもの頃に、田んぼの手伝いをしたことはあっても、農業の経験や知識はゼロだった西田さん。それでも継ごうと決心したのは、次の思いがあったからだといいます。

「このお米を食べて育ててもらってきた。途絶えさせたくない」

 祖父の代から続く田んぼを守り、作った米を未来へつなぐ――西田さんは、勤めていた会社を辞め、その一歩を踏み出しました。

異色の経歴 自動車ディーラーや溶接会社を経てサービス業に

 西田さんの経歴は、少し珍しいかもしれません。地元の高校を卒業後、進んだのは自動車整備の専門学校でした。

「父が自動車整備の仕事をしていて、子どものころ旅行先で故障した車を直してあげたら、その後にお礼が届いたんです。そんな姿を見て漠然と手に職をつけるべきと考えました」

 専門学校では、1学年約250人のうち女性はわずか4人でした。2年間の就学を終え、長野県内の自動車ディーラーに就職したところ、職場はほとんどが男性でした。3年間の勤務では父のようにお客さんに寄り添った仕事を夢見ていましたが、大手ディーラーでは顧客数をさばかないといけない現実とのギャップに悩み、退職したそうです。

 その後、基盤溶接や光ファイバーのレーザー溶接をする会社に転職しました。こちらも女性は珍しい存在だったとか。週末には「時間を持て余すから」と観光施設でアルバイトも始めます。忙しい日々に充実感を覚えるなか、「サービス業は自分に向いている」と気づき、今度は観光施設に転職することを決意しました。