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娘が小3で白血病と脳梗塞に…激変した日常の風景 闘病を支えた母が45歳で登山ガイドとなり笑顔を取り戻したワケ
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3月8日が「国際女性デー」と国連で定められてから、今年で50周年を迎えます。2021年から女性アスリートとスポーツの課題にスポットを当てた特集「THE ANSWER的 国際女性ウィーク」を実施してきた株式会社Creative2は、節目の年となることを記念して、今年は「女性の生き方を考える」をテーマに運営する3つの媒体で企画を展開します。
「Hint-Pot」では、「自分らしく生きる女性」にクローズアップした特別企画を掲載します。秋田県で多くのリピーターを抱える人気の登山ガイド・大川美紀さんと、シンガーソングライターとして活動する娘のちさとさんは笑顔が素敵な親子ですが、ふたりは長年にわたって過酷な運命と向き合ってきました。愛する我が子の闘病を支えながら人生を見つめ直した母と、運命を受け入れながら多感な時期を駆け抜け“生きる場所”を見つけた娘。前編では母・美紀さんが娘の闘病生活を経て、山登りの魅力に出合い、45歳で新たな挑戦をスタートさせた日々について振り返ります。
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1年先も予約でいっぱい 登山ガイド界の“ミキティ”
弾けるような笑顔が印象的な、秋田県大館市で登山ガイドとして活躍する大川美紀さん。地元の人や登山客の間で“ミキティ”の愛称で親しまれ、58歳になった今も元気に、山の魅力を多くの人に伝えています。
秋田県の森吉山や田代岳などの山々をガイドし、高山植物や野鳥、絶景ポイントなどの見どころを丁寧に解説。「足も心も軽やかに登れる!」と評判の“魔法”のような声かけと細やかな気配り、豊富な知識で登山客を飽きさせません。美紀さんと一緒に山を楽しみたいというリピーターも多く、幅広い年代に愛されているそう。予約はすでに1年先まで埋まっているとか。
「いやいや、まだ予約は受けられますよ。暇な時期もあるので、ぜひご相談くださいね。お好きなところを案内しますから」
そう言って優しく微笑む美紀さん。娘の大川ちさとさんは、母親の仕事ぶりについて「とにかく勉強熱心です。たとえば(最近は)外国のお客さんが多くなっているので、英語や中国語、タイ語などを車でずっと流していて。時間を無駄にしないで、勉強をしています。ノートもすごくたくさん作っていますね」と評しています。
ガイドをする山々をはじめ、花や鳥などについて詳しく調べたノートは数十冊に及ぶそう。どこにそんな時間があるのかというほど、丁寧に綴られています。学びを続ける理由を美紀さんが明かしてくれました。
「登山ガイドになって13年が経ちますが、いまだに自信がなくて。毎年来てくださるお客様に、今年と同じガイドをしていたら、来年も楽しませられないっていう思いから勉強を続けています。常にバージョンアップしていきたいし、満足できるガイドがしたいんです」
笑顔の裏にある、ストイックな姿勢。美紀さんを突き動かす原点はどこにあるのでしょうか。
娘が小3で白血病と脳梗塞を発症
高校卒業後に、一般企業の事務職として4年間勤務していた美紀さん。1989年、22歳のときに「旅行に携わる仕事がしたい」と一念発起し、高倍率を勝ち抜いて旅行会社に転職しました。
入社直後から営業職として、美紀さんは「国内旅行業務取扱管理者」や「総合旅程管理主任者」などの資格を取得。持ち前の明るさを生かしてツアーコンダクターとしても全国各地の名所をめぐり、キャリアを着実に積み重ねました。結婚、出産を経て、美紀さんは子育てをしながら仕事を続ける日々を送ります。
充実した生活を続けていた美紀さんに、不意に転機が訪れます。愛情を注いでいた2人の子どもに、相次いで病気が見つかったのです。
「長男が小中学生の頃は病気がちで、時短勤務にしてもらいながら仕事を続けていました。私が40歳を過ぎたとき、ちさとの病気が見つかって……。子どもとの時間を優先させるために潔く退職しました」
娘のちさとさんは小学3年生のときに白血病を発症。その1か月後に、治療薬の影響で脳梗塞に。抗がん剤治療で苦しい副作用がいくつもあり、強い痛みにはモルヒネを使用することもありました。
高校生の長男は祖母の家から通学し、会社員の夫と協力しながら、家族全員でちさとさんの長い闘病生活を支えました。美紀さんは病気や治療について、専門書を読み込んで詳しく学び、治療内容を細かく記録し、わからないことがあればSNSを使って情報収集。生死をさまよう病に向き合う娘を励ましながらも、しだいに気持ちが落ち込むようになりました。
「(娘が)もう死ぬかもしれないということが何回もありました。どんどん状態が悪くなってしまって。毎日つらくて『私の気持ちは誰にも理解されない』と常にネガティブな考えをしていて、未来なんて想像ができませんでした」