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仕事・人生

“どん底”を経験した元俳優 移住した先で古民家カフェをオープンし大人気に

公開日:  /  更新日:

著者:河野 正

情緒あふれる古民家カフェの前で。田中裕士さん家族【写真提供:田中裕士】
情緒あふれる古民家カフェの前で。田中裕士さん家族【写真提供:田中裕士】

 広島県三原市の瀬戸内海に面した「古民家カフェ&宿 むすび」は、2019年5月のオープン当初から千客万来の人気ぶりで連日、市内外から絶品のランチとデザートを求めて老若男女が集います。オーナーの田中裕士さんはもともと俳優という異色の経歴の持ち主。地元・大阪で飲食店を営んだもののわずか1年で閉店となり、背水の陣で広島に移住してきました。今では三原市の人気店にまで店を発展させた田中さんに、移住までの歩みを聞きました。

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カラオケオーディションがきっかけで俳優に

 大阪で生まれ育った田中さんは、大学を中退してから1年ほど、親が経営する薬局の仕事を手伝っていました。業務が終わると友人を誘い、気晴らしを兼ねてしばしばカラオケボックスへ。そのお店は100円で歌手のオーディションに参加できるようになっており、田中さんは遊び感覚で毎回のように熱唱し応募していたそうです。すると、まさかの連絡が舞い込みます。

「東京のワタナベエンターテインメントという芸能事務所から『合格しました』という電話があったんです。周りからは、絶対騙されているから気をつけろと注意されましたが、そう言われれば言われるほど挑戦したくなり、思い切って上京しました」

 事務所に入って音楽養成所へ通うことになり、プロの歌手を目指して1年間のレッスンを受けました。養成所では「今の時代は自分で歌詞を書くことも必要」と教えられ、歌手の世界も厳しいものだと痛感します。

 所属していたワタナベエンターテインメントは、大手芸能事務所とあって映画の仕事も多く、田中さんは歌の練習の合間を縫って、エキストラに挑戦することに。『ひゃくはち』という高校野球を題材にした映画が製作されることを聞き、高校まで野球に打ち込んでいた田中さんは初めてオーディションに応募。すると、「湊」という役で出演できることになったのです。

「デビュー作では、中村蒼さん、仲野太賀さんや高良健吾さんらと共演し、役者として記念すべき最初の作品になりました」

プロデューサーを務めた峯岸みなみさん主演映画が花道 飲食店の道へ

芸能界最後の活動となった、映画『女子高』プロデューサーを務めた頃の田中さん(左)【写真提供:田中裕士】
芸能界最後の活動となった、映画『女子高』プロデューサーを務めた頃の田中さん(左)【写真提供:田中裕士】

 その後も映画やVシネマに何本も出演した田中さんは、舞台活動も精力的にこなしました。役者としての経験はとても楽しく、かけがえのない10年だったそうです。

「たとえば舞台だと、お越しくださったみなさんを送り出す際、感動で涙を流すお客様の顔を見たり、『明日から頑張れる』とか『人生が変わった』と言っていただいたりしたときなどは、本当にうれしくて、この仕事が辞められなくなったものです」

 充実した生活を送っていた一方、飲食店を経営したいという強い思いが募ってきました。

 女性アイドルグループ・AKB48の第1期メンバー、峯岸みなみさんが初主演を務めた映画『女子高』に、田中さんはプロデューサーのひとりとして名を連ね、オーディションや資金集めなどに尽力します。「役者の世界に入ってちょうど10年目の節目でした。これを機に芸能界を辞めて、飲食業の道に入ろうと決意しました」と一念発起。地元の大阪に帰ることを決めたのです。