仕事・人生
子ども6人の大家族を育んだ性的マイノリティのパパ 伝えてきたことは「自分に正直に」
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大家族の“おネエ系パパ”として、十数年前にテレビで脚光を浴びた田中庸浩さん。ダンサーとして働きながら妻の喜久美さんと力を合わせ、2男4女、6人もの子どもを育て上げました。性的マイノリティのパパとして、どのような葛藤があったのでしょうか。これまでの子育てや、子どもたちに伝えてきたことについてお話を伺いました。
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女性も子どもも大嫌いだった…妻との出会いで家族を持つことに
「30歳くらいまで女性も子どもも大嫌いでした。自分の人生を邪魔するものだと思っていたんです。そのため、女性や子どもを極力避ける生活。家族連れが多い日曜日などは外に出かけないようにしたり、電車に乗って子どもがいたら違う車両に移ったりしていたほどでした」
そう話すのは、6人の子どもたちを育て上げ、“おネエパパ”としても知られる田中庸浩さんです。異性愛者ではなかった田中さんの人生を180度変える転機が訪れたのは、新宿のギャルソンパブでダンサーをしていた33歳の頃でした。お客さんとして来ていた喜久美さんと運命的に出会ったのです。当時の彼女は髪を刈り上げ、パンツスーツ姿。最初は、男性と思い違えるほどの風貌と生意気そうな態度が新鮮に感じたそうです。
この出会いをきっかけに、田中さんは喜久美さんと結婚。男2人、女4人、計6人の子どもに恵まれました。田中さんは子どもたちの幼少期から、ご自身が性的マイノリティであることをあえて隠さずオープンにしたそう。
「当時は生活するのが大変で、余裕もありませんでした。ただ、世間の型にはまった子育てには従いたくなくて、自分なりに、自然体がいいかなとは思っていたんです。ですから、子どもたちは赤ちゃんの頃から私のショーに連れていっていましたね」
自然体を大切にしてきた田中さん。実際にはどのような子育てをしてきたのでしょうか。
「人に迷惑をかけたり、いじめたり、力で抑え付けたりしてはいけないということはしっかりと教えてきました。その一方で、ときには子どもたちを厳しく抑え込むこともありました。というのも、実際に自分が力で抑え込まれれば、相手がどんな気持ちになるのかよくわかるのではないかと思っていたんです。だから他人にやってはいけないんだと。私の父も性的マイノリティでしたし、厳しくとても怖い人だったので、私にはその気持ちがわかるんです」
もちろん抑え付けるだけではありません。田中さんは、ときには“母のように”寄り添ってきました。
「子どものことで何かあったら、自分の父母がやってくれたことなどを思い出しながらそれに倣ったり、妻と相談したりしました。妻は『まあ、いいじゃない』で済ませたりしますが、私は反対で細かい。うちの子どもたちはみんな気持ちが顔に出やすいので、様子がおかしいというのも感じ取れましたね。毎日を終わらせるだけで手いっぱいではありましたが、そのなかで子どもたちの話も聞いていく。6人とも同じ性格じゃないから、それぞれの個性は尊重しながら解決してきました」