仕事・人生
“おネエ系パパ”率いる大家族で思春期に注目を浴びた次女 人生に影響を与えた父の言葉と存在とは
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LGBTQ(性的マイノリティ)をカミングアウトする人が少なかった十数年前、“おネエ系パパ”こと田中庸浩さん率いる2男4女の8人大家族がテレビの密着番組に登場すると、大きな注目を集めました。あの大人気家族は現在、どのように暮らしているのでしょうか。現在はフリーアナウンサーとして活躍している、当時は小学生だった次女の晴子さんにお話を伺いました。多感な思春期に“おネエ系パパ”の娘として感じていたこと、そして今の晴子さんの人生に影響を与えたお父さんの言葉とは。
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反抗期に父が話した忘れられないひと言「ごめんね」
バスガイドを経て、現在はフリーアナウンサーとして活躍する田中晴子さん。アナウンサーのセカンドキャリアを作るために設立された「トークナビ」の社員として、イベントなどの司会、広報の代行業務、研修の講師などの仕事に携わっています。父の田中庸浩さんは“おネエ系パパ”として知られていますが、田中さんがお父さんが性的マイノリティだということを意識したのはいつ頃だったのでしょう。
「私が物心ついた頃から、父はショーパブでダンサーとして踊っていました。そこに父が連れていってくれるんです。スキンヘッドでお化粧をして、派手な衣装で仕事をしていましたが、まるで何かのイベントか演劇を観るようで、きょうだいみんなで楽しんでいました。そしてそれがうちのパパなんだと。男性が好きだとかというよりも、それが父であり、私たちにとって自然なあり方でした」
ただ、小学4年生の頃から周囲の目を意識するようになったといいます。“おネエ系パパ”、その子ども6人、ママ、総勢8人の大家族としてテレビでたびたび取り上げられるようになってからです。
「テレビの中でも父はありのまま。学校で友達が『テレビを観たよ』と言ってくれるのはうれしいのですが、父について嫌なことを言われて傷付いたこともありました。それからはテレビに取り上げられるのも嫌でしたね。日常生活のおもしろいシーンを押さえるためにディレクターさんが毎週のように家に来たり、小学6年生のときには卒業式を撮影に来たりしたことも。コメントを撮る際、私だけ嫌々応じることもありました」
田中さんはその頃から反抗期に入り、ほかと自分の家庭を比べるようになりました。きょうだいが多く生活が貧しかったことも重なり、ネガティブな思いが沸々と湧き上がっていったそう。お父さんから何かを言われても、ツンとして背中を向けていたといいます。
しかし、晴子さんが一番反抗していた中学2年生のときにお父さんは言いました。
「『ごめんね。パパはパパだから。晴子に嫌な思いをさせていても謝ることしかできない。ごめんね』って。この言葉は今も心に残っています」