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“40歳パーカーおじさん論争”をニューヨークで話してみたら…まさかの反応に日本人男性が気づいたこと
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日本に根強くあるエイジズム(年齢差別)。儒教の影響などの文化的背景もあり、社会全体が生まれ変わるには決して簡単なことはないでしょう。妻の海外赴任に伴い、ニューヨークで駐在夫、いわゆる「駐夫(ちゅうおっと)」になった編集者のユキさん。この連載では、「駐夫」としての現地での生活や、海外から見た日本の姿を紹介します。第22回は「ニューヨークの年齢に対する考え方」についてです。
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なぜ他人の見た目が気になるのか
昨年、日本で“40歳パーカーおじさん論争”が盛り上がっていたようですが、この騒動をこちらで話してみました。
すると、総じてキョトンとした表情で、「ん?」と言った反応です。他人が何を着るのかを、なぜそこまで批判しなくてはならないのか、批判されなくてはならないのか、皆目理解ができないようです。
これには多様性の有無があるのかなと思います。
今は少なくはなったのでしょうが、40代の自分が学生の頃には、学校に身だしなみ検査というのがありました。制服の丈が短い、長いや、髪を染めてはいけない、髪型が学生らしくないだとかをチェックされます。
多くの人が、ある程度同じような姿形をしている前提があるからこそ、少しでもそこから外れると違和感を覚えるのでしょう。ある程度そろっていると、それをきちんとそろえたくなるという心理が働きます。
世界で最も多様性に富む街といわれるニューヨークでは、人種も違えば、肌の色や、髪質、価値観も違います。なぜこの街にいるのかといった理由も人それぞれ。
全員に共通した感覚が少ない以上、なにか一つの方向に物事を統一するのが、難しく、お互いに違いがあったとしても、あまり気にしても仕方がないというのが根底にあるのでしょう。
一方で日本では、この年代ではこうしていなくてはならないといった、年齢相応のふるまいを求められることが多いように思います。
何かを始めるのに遅すぎることはないか

こちらでは年齢を意識することが、日本にいた頃より少なく感じます。
毎週開催される参加自由の飲み会があるのですが、主催者であるアメリカ人の友人は、70代半ば。メンバーには、若い人もいれば、90近い年齢で車椅子に乗って参加している人もいます。
話をしていても、お互い相手の年齢や素性をあまり気にすることなく、くだらない冗談が飛び交います。
その友人は先日、SNSで知り合ったケニア人と親しくなり、その知人を訪ねに1か月ほど一人でケニアに旅立っていきました。
こういう人は日本だと少ないのではないでしょうか。
「何かを学ぶのに遅すぎることはない」と言いますが、日本にいたときは、勉強にせよ、何にせよ、年をとってから何かを始めると、「いまさら」とか「いい年をして」と暗に批判されたり、逆に「あの年になって新しいことを始めるなんてすごい」と必要以上に持ち上げられたりします。
ニューヨークに来て、必要にかられて学生時代以来の英語の勉強を始めました。こちらに来て知り合った第二言語として英語を学ぶ人たちは、ヒスパニック系、アジア系、ヨーロッパからなどとさまざまですが、年齢を英語を話せない理由にすることはないですし、お互いに遠慮をすることもありません。
「その発音、何を言っているのかわからない」と、何を言っているのかわからない発音の英語で言われます。
やりたいことをいつでも始めていいと思えるようになったことが、こちらに来て一番良かったことだと思います。
(ユキ)