Hint-Pot | ヒントポット ―くらしがきらめく ヒントのギフト―

仕事・人生

20歳で旬が過ぎたタレント扱い 中山秀征さんが明かす、夢見た芸能界で突きつけられた現実と支えてくれたマネージャーの存在

公開日:  /  更新日:

著者:Miki D'Angelo Yamashita

10~20代の頃の芸能生活を振り返る中山秀征さん【写真:矢口亨】
10~20代の頃の芸能生活を振り返る中山秀征さん【写真:矢口亨】

 人を楽しませたいと、幼い頃から憧れた芸能界。家族の協力のおかげで高校進学を機に上京した中山秀征さんは、オーディションを受け続けて、渡辺プロダクションに合格し、芸能界に足を踏み入れます。そこから順風満帆に仕事ができるという思惑ははずれ、なかなか思い描いたような芸能生活が送れませんでした。そんな中山さんを売れっ子へと導いてくれたのが、当時まだ26歳の若さだったマネージャーの存在。インタビュー2回目は、紆余曲折のあった芸能生活について語っていただきました。

 ◇ ◇ ◇

「歌も芝居もいまいち」 ブレイクしたのはバラエティ

 16歳で渡辺プロダクションに所属。いよいよ歌手としてのデビューが決まったと、意気揚々と事務所に向かった中山さんでしたが、芸能界はそんなに甘い世界ではないことをすぐに思い知らされます。

「歌も芝居もいまいち」と指摘され、マネージャーに「バラエティで天下をとれたら、やりたいことは全部できる」と言われ、バラエティ班へ移ることになりました。「テレビはバラエティの時代になる。これから、お前みたいな若いやつらがお笑いをやるんだ」と、若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY(ビッグサースデー)」の第1期生として参加。その後、小説家としても知られる松野大介さんとコンビ「ABブラザーズ」を結成します。

「お笑いの英才教育を受けました。月曜日はフジテレビの『ひょうきん族』のディレクターにネタ見せをして、火曜日はニッポン放送のアナウンサーにしゃべりを学び、水曜日はダンスや歌のレッスン。1週間びっしりでした。

『これからのお笑いは、踊りでバーンと始まって、それから集団コント、最後はダンスでかっこよく終わって、中高生がキャーキャー。これだ! 場所も演芸場じゃない。ライブハウスだ』と、マネージャーに言われました。そんなとき、SHIBUYA109でお笑いライブが決まったんです。これがすべてはまりました」

人気絶頂期には葛藤も マネージャーからは「回り道が必要だ」と金言

「あのときバラエティ班で1年勉強したから今、芸能界で頑張っていられる。『お前のやりたい歌と芝居はお笑いで成功すればできる』。そのマネージャーの言葉を信じたんです。その通り、その後は主演ドラマが始まり、レコードデビューして、やりたいことはすべて実現できました」

 以後、10代はテレビに出ない日がないほど、第一線で活躍を続けていましたが、本人は納得のいかない日々を過ごしていたといいます。

「傍からは順風満帆のように見えるけど、自分としてはまだこんなもんじゃない、もっとドラマをやりたいのにできないと、不甲斐なさを感じていました。コンビの仕事を優先するとドラマができない。ドラマを優先するとコンビの活動ができない。ドラマの主役の話が来たのに『しばらくやめろ。バラエティができなくなるから』と言われて、全部断っていました。『なんでお笑いだけやらなくてはいけないんだ』という時期を過ごしていましたね」

「やりたいことができるようになるためには、回り道が必要だ」

 そのときにマネージャーからかけられた言葉は、中山さんの座右の銘です。人生においても、芸能界でやっていくためにも、大切なことはすべてマネージャーから学びました。