仕事・人生
20歳で旬が過ぎたタレント扱い 中山秀征さんが明かす、夢見た芸能界で突きつけられた現実と支えてくれたマネージャーの存在
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バラエティは「第3世代」 旬のタレントではなくなる
そのうち、ダウンタウンやウッチャンナンチャンたちお笑いの「第3世代」の波が来て、あっという間に時代が変わります。17歳でデビューし、すぐにブレイクしたにもかかわらず、20歳のときにはもう旬の過ぎたタレント扱い。「負けるのも情けない」と感じ、もう一度お笑いのランキング番組に挑戦しようと試みました。
「そうしたら、マネージャーに『コンビとしての負けを認めよう。お前はピンでいける』と言われたんです。相方は作家になりたいという夢があるし、『俺たちがやろうとしたことはもうすべてやった』と、解散に向かっていきました。
25歳のときに迎えた自然解散の前は、『誰々のレコード会社が決まった、ドラマが決まった』と聞くと、何も決まっていない自分はマネージャーに当たりまくっていました。『みんなオーディションを受けさせてくれているのに、なんで俺はダメなんですか。オーディションにいかなければ受からない』と愚痴を言ったんですね」
そのときのマネージャーの返事に、中山さんは涙が止まりませんでした。
「中山、俺が群馬に帰ってくれって言ったら、帰ってくれ。それまではここで頑張れ。会社の判断は関係ない。俺がいいって言ってるんだから。周りと比べたりするな。まだ、お前は大学にも行けるし、もう一度違う人生を始められる。それまでは俺に預けろ」
本を読む課題を与えてくれたマネージャー
仕事が思うようにいかなかった時期に、マネージャーからは「とにかく本を読め」といつも課題を出されていたそうです。
「それが幅広いんですよ。ヘミングウェイから『週刊プロレス』まである。ジャンルを問わず、月5冊ぐらい持ってきてくれて『読め』と。そのおかげで、本を通して人間として大切なことを学びました」
それだけではなく、社会人としてのマナーや立ち振る舞いも指導されました。
「箸の上げ下ろしまで指導されましたし、料理店で何かを注文するときも、目上の人以上のものは絶対注文するな、同じものかそれ以下。そういう行儀も含めて、よく注意されましたね」
道からそれそうになると正してくれたマネージャーがいなければ、「今の自分はいません」と断言する中山さん。二人三脚で、活動の場を広げていきます。「DAISUKI!」「THE夜もヒッパレ」などの人気番組の司会業をはじめ、「静かなるドン」といったドラマの主演も手にします。
そんななか、人生最大の転機が訪れます。宝塚歌劇団のトップ娘役・白城あやかさんとの結婚でした。次回は、「2度目に会ったときに、この人と結婚する」とひらめいたというふたりの関係、中山家の子育てや家族の絆について語っていただきます。

(Miki D’Angelo Yamashita)

Miki D’Angelo Yamashita
コロンビア大学大学院国際政治学修士、パリ政治学院欧州政治学修士。新聞社にて、新聞記者、雑誌編集記者、書籍編集として勤務。外信部、ニューヨーク支局、パリ支局、文化部、書籍編集部、週刊誌にて、国際情勢、文化一般を取材執筆。