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「『伝統を守ってくださいね』と言われることが一番嫌い」 100年以上続く丹後ちりめんの若き後継者 見据える未来とは

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・佐藤 直子

ワタマサの4代目・渡邉正輝さん【写真:矢野写真事務所】
ワタマサの4代目・渡邉正輝さん【写真:矢野写真事務所】

 1918(大正7)年創業のワタマサは、100年以上にもわたり、京都北部の丹後地方が誇る絹織物「丹後ちりめん」の織元を家業としてきました。伝統工芸という側面が注目される一方、4代目・渡邉正輝さんは洗える着物を考案したり、新ブランド「ワタマサタマサ」を立ち上げたり、新たな挑戦を続けています。その背景には、着物を愛し、地元を愛する、正輝さんの思いが詰まっているようです。

 ◇ ◇ ◇

続く「革新」を振り返ったときに見える「伝統」

 ワタマサの公式サイトに記されている「革新が伝統を生む」というフレーズ。「革新」と「伝統」という言葉は、一見すると相反する意味を持つように思えますが、正輝さんは次のように語ります。

「古いものを受け継いで守っていくという感覚は、僕にはありません。今は常に新しいことへの挑戦や変化=革新を続ける一方、過去を振り返ったとき、かつては革新だったけれど現在まで長く続いているものがある。これが伝統だと思うんです。たとえば、着物の柄も同じ。古典柄というのは、かつて新柄として流行ったもので、今でも長く愛され続けているもの。一時期流行っても、途中で飽きられてしまっては古典柄にはなりません。今は新しい挑戦の連続で、将来振り返ってみると、そのなかには伝統になっているものもあるし、なっていないものもある。だから、伝統は革新から生まれるものだと思うんです」

 4代目となり、我が子にも家業を引き継いでほしいと考えるとき、ふと、創業者でもある曾祖父を思うことがあるそう。

 僕の曾祖父は、誰かに跡を継いでもらいたいと思っとったんやろうか──。

「創業当時はたぶん、この商売が一番儲かるしって始めて、つなげようという思いはなかったと思うんですよね。それが軌道に乗ったから祖父が継いで、戦後復興を経て、父から僕につながった。でも、なんで続いてきたのかと考えたとき、そこには社会貢献があったと思うんです。地方での製造業というのは商品を売って得た利益を、地元の方々に従業員として来ていただいたり、地元の業者さんと取引をしたりしながら還元していくことに意味がある。だから、買い叩くのではなく、より地元に払える会社にしていきたいと心がけています。お客様に安く商品を提供することも仕事のひとつなので、そこはいつも葛藤を抱えています(笑)」

 丹後という地域とともに歩んできたからこそ、今がある。ワタマサが盛り上がることで、地域も一緒に活性化させていきたいと考える正輝さんは「丹後でできることは丹後の中で。うちはなるべく丹後の中で完結できるように」と糸染めなども地元の業者にお願いし、正真正銘の丹後ちりめんの製造にこだわりを見せます。

飛行機でも新幹線でも、出かけるときは常に着物 「最低限、着なあかん」

どこに行くにも着物を着るという正輝さん【写真:矢野写真事務所】
どこに行くにも着物を着るという正輝さん【写真:矢野写真事務所】

「『丹後ちりめんを作っています』と言ったとき、『伝統を守ってくださいね』と言われることが一番嫌いですね。そういう感じではないので」と、カラッと笑い飛ばす4代目。求められてチャイナドレス用の生地製作に取り組んでみたり、縁あって訪れたアメリカ・シアトルでは、コーヒーの豆カスから染料を抽出して生地を染めてみたり、いわゆる「伝統」の型にハマることはありません。そんな正輝さんに、改めて丹後ちりめんの魅力について聞いてみると……。

「いろいろな織り組織があることが、やっぱり丹後の特徴だと思います。今は先染めのものもありますが、もともとは白一色のなかでも柄の強弱が出る織物。色で柄を表現するのではなく、織り組織で変化をつけて柄の強弱を出すわけです。丹後ちりめんにもいろいろな種類がありますが、うちはジャガードの機屋。ここまで高密度の絹織物は少ないと思いますし、絹の光沢感や着心地の良さがあると思いますね」

 最初は、商売道具として丹後ちりめんと向き合っていたという正輝さんですが、今では出かけるときに必ず着物を着るほどの愛好家になりました。同時に、着物としっかり向き合うことは、機屋の責務でもあると考えているようです。

「機屋をやっている以上、最低限、着物を着なあかんと思って、15年ほど前にスーツはやめました。だから、出張に行くときは一切洋服を持っていかずに、ずっと着物。移動するときも、飛行機だろうが新幹線だろうが着物です。着物と向き合うことで、どこにシワが入りやすいとか、少し無理をしたら裂けたとか、汗をかいたあとは水洗いしたいとか、そういったことが見えてくる。自分で試して、売っていくということを意識しています」

 着物を着る点では最近、家族に変化があったといいます。今年18歳になる長女がある日、しまってあった着物を出して、YouTubeを見ながら自分で着ていたそう。「『どうしたん?』と聞いたら『着てみた』と(笑)」と、まさかの出来事を振り返る顔は、うれしそうな表情であふれます。以来、着物イベントや展示会へ一緒に出かけ、丹後ちりめんの良さを伝える手伝いを始めました。高校1年生の長男がワタマサを継いでくれるのではないかと期待しつつ、「今の時代、長男でも長女でも、継ぎたい人が継いでくれたらいい。ふたりとも継がないと言ったら、従業員の誰かが継いでくれるとか、誰かが継ぎたいと思える会社にしたいですね」と話します。

 正輝さんの幼少期、与謝野町では、そこかしこからにぎやかな機音が聞こえてきたといいます。大学を卒業し、呉服問屋での修行を終えて帰ってきたとき、最初に気づいたのが「あ、静かになっている」ということでした。丹後ちりめんが100年先の未来に受け継がれていたら、そのときは「少しでもにぎやかな機音が聞こえている地域であってほしいですね」と願う正輝さん。革新に挑み続けながら、伝統の道を歩んでいきます。

(Hint-Pot編集部・佐藤 直子)