仕事・人生
「大切なのは家族づきあいができるか」 創業150年の京都・老舗茶筒店 海外進出でも優先する「人と人とのつながり」
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創業は明治8年(1875年)。京都で茶筒づくりを続ける開化堂は、初代から一貫した手づくりを守り、受け継いできた老舗です。銅・錻力(ブリキ)・真鍮で作られた光り輝く茶筒は徐々に、使う人の手の温もりで渋みと深みが加わった色味へと変化。世に二つとない茶筒として、長く家庭で愛用されています。そんな老舗の6代目・八木隆裕さんは、頑固な職人像とは正反対の人物。軽妙な口調でものづくりへの想いを語ってくださいました。
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「『海外で茶筒を売りたい』と言ったら『アホか』って(笑)」
開化堂が産声を上げたのは、文明開化の真っ只中。イギリスから輸入が始まった「舶来もの=ブリキ」で作られた茶筒はモダンでハイカラな道具でした。2025年で創業150年。2度の世界大戦や高度経済成長期など、激動の波にもまれながらも続く老舗は今、グローバルな視点を持つ6代目のもと、世界各地に愛用者を持っています。
大学で英語を学んだ八木さんは卒業後、日本の工芸品を海外の観光客に販売する仕事に従事。そこで茶筒が購入される様を見て、家業を継ぐことにしたと言います。看板を背負うプレッシャーがあったかと思いきや、父でもある5代目の「こんな仕事はあかんから跡を継ぐな」という言葉で楽になったそう。工業製品の台頭やバブル崩壊などで苦境を経験した父は、息子に同じ苦労を味わわせたくなかったのでしょう。
「『しんどいだけやし、やめとけ』と言われたけれど、外で3年間働いて、自分で家業に戻ってきた。戻されたのではなく、自分事として戻ってきたのでやるしかない。親父には『この先は転職はない』『職人と商人の両方をやらなければいけない』と言われたのを、よく覚えています。あと一つ、『海外で茶筒を売りたい』と言ったら『アホか』って(笑)」
しかし、この海外進出が開化堂の可能性を大きく広げることになるとは、5代目も予見しなかったようです。
「見て覚えろ」と言う父の姿から技術を学び、失敗を繰り返しながら職人として腕を磨く一方で、商人として時代の変化を感じとり、卸売のみだった販売方法を見直すことに。試行錯誤する八木さんのもとに、ある日イギリスから1通のメールが届きました。
「あなたの茶筒をロンドンで売りたい」
差出人は、こだわりの茶葉を世界各国から輸入販売する「Postcard Teas」のティム・ドフェイさんでした。実際に京都を訪ねるほどの熱心さに触れ、不思議な縁を感じた八木さんは駆り立てられるように渡英。こうして2005年、開化堂の茶筒はロンドンから本格的に世界デビューを果たしたのです。今ではアメリカ、カナダ、台湾など海外でも愛される商品となりました。
