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着物は洗えない―老舗の伝統や常識を覆す 丹後ちりめん4代目が挑んだ“逆転の発想”

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・佐藤 直子

ワタマサの4代目・渡邉正輝さん【写真:矢野写真事務所】
ワタマサの4代目・渡邉正輝さん【写真:矢野写真事務所】

 京丹後市や与謝野町を中心とする京都北部の丹後地方。古くから絹織物が盛んだった地で「丹後ちりめん」が始まったのは江戸時代中期、1720年のこと。以来、日本を代表する絹織物として受け継がれています。大正7年(1918年)に創業し、与謝野町に機織りの音を響かせているワタマサの4代目・渡邉正輝さんは、遊び心を持ったアイデアマン。丹後ちりめんをより身近に感じてもらうため、“逆転の発想”で勝負しています。

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修行した後に飛び込んだ家業「はぁ、こんなに儲からんのか…」

 曽祖父は、創業者である渡邉正雄さん。その3代目・正義さんの長男として、正輝さんは生まれました。「長男はずっと『正』のつく名前で、会社名がキムタクみたいな『ワタマサ』(笑)。4人きょうだいですが、ずっと『次は自分』という意識はありました」と振り返ります。歴史好きで大学でも日本史を専攻。「機屋と社会科の先生を両方やりたい、と父親に言ったら『機屋をなめとんのか』と瞬殺されました」と笑顔で話します。

 大きな抵抗もなく家業を継ぐことになったのは、「父親がいつも楽しそうに仕事をしていたんですよね」。まさに、子は親の背中を見て育つ。「自分も自然と『やってみたい』と思えるようになりました」と言い、大学卒業後は、かつて織物流通の中枢を担った京都・室町にある呉服問屋に就職。営業職として九州地区の呉服店を飛び回る日々を過ごしたといいます。

「当時、一番大きな問屋さんで修行させてもらいました。いろいろな産地の商品も取り扱っていたので勉強になりましたし、どういう流通経路で商品が販売されるのかなど、織物業界の全体像がとても良くわかりました。お客様でもある呉服店の皆さんには、反物の測り方、着物になるときの生地の取り方、値づけの感覚などをいろいろと勉強させてもらいました」

 持ち前のポジティブさと社交性もあり、各地にネットワークを広げること4年。修業先の呉服問屋から家業を継ぐため与謝野町に戻ってきた正輝さんは、ワタマサなど機屋の現状に「はぁ、こんなに儲からんのか……」とため息が出たといいます。

「原材料の糸を仕入れて、撚糸(ねんし)という撚りをかける工程を何回も何回も繰り返し、生地を織って売る。いくら時間や手間暇をかけてやっても、絹糸代に織り賃や加工代を足したら、出荷する時には儲かっているのか儲かっていないのか、ほぼ原材料費のような値段にしかならなくて、こんなに報われへん仕事なんかなって思いました」