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「初めて人として認められた気がした」当事者が語る“障がいと性” 赤裸々に発信するワケとは
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寝たきりの重度障がい者で、自由に動かせるのは右手の指先だけ。SNSで障がい者の赤裸々な日常を発信するウッディさんは、昨年末、遠く親元を離れた大阪で一人暮らしを始める決断をしました。脊髄性筋萎縮症という難病を抱えながらも、前向きな人生を生きるウッディさんに、両親との関係と、SNSで発信を続けるワケを聞きました。(取材・文=佐藤佑輔)
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寝たきりの重度障がい者でありながら、昨年末、遠く親元を離れ一人暮らしを決断
ウッディさんの脊髄性筋萎縮症が発覚したのは、1歳を過ぎた頃。物心つく前から自身の病気と向き合い、懸命な日々を過ごしてきました。小学校低学年までは普通学級に通いましたが、3年生のときに入院を機に養護学校へ転校。そして中学へと進む頃に、家庭環境にも大きな変化が訪れます。
「中学のときに両親が離婚して、一人っ子だった自分は父の方についていくことになりました。父はあまり感情を見せずに、できることとできないことを現実的に分けて考えるタイプ。あまり『障がい者だから……』という育てられ方をされた記憶はなく、かといって『頑張れば何でもできる』という感じでもなかったので、そこはとても感謝しています。母とはあまり関係が良くなくて、今ではもう絶縁状態。入院してからの見舞いも自然と父の方が多くなって……。自分が父についていくのは自然な流れでした」
障がい者であることを理由に過剰に制限をされず、同時に根拠のない励ましを押しつけられることもなかった父との関係は、自分自身の生き方を現実的に考えるうえでの土台になっています。養護学校の高等部を卒業後に就職するも、20歳を過ぎる頃には病状が進行し退職。愛媛の自宅で父と二人暮らしをしながら将来を模索する中で、次第に「いずれ父が年老いたらどうなるのか」という切実な問いと向き合うようになりました。
そんな時期に出会ったのがSNS。ネットで知り合った同じような障がいを持つ当事者との交流の中で、一人暮らしへの思いが募ります。思い切って父に自身の思いを打ち明けたところ、「やりたいならやってみろ」という言葉が背中を押してくれたといいます。約2年半の準備を経て昨年末に大阪へ転居。父との関係は今もウッディさんの生活を支える大きな柱であり続けています。
「家にこもりっきりの日々の中で、何よりも人とのつながりが欲しくてSNSを始めました。ネットで知り合った人の中には、自分と同じような障がいを抱えていても、一人暮らしをしていたり、自分の人生を楽しんでいる人がたくさんいた。SNSがなければ自分が大阪に来ることもなかった。人との関わりという意味でも、SNSはなくてはならないものだと思います」
コツコツと書き溜めたnote記事は140本以上。「障害者として親を恨んだ事はあるか」「重度身体障害者が恋愛をするということ」「実家デリヘルお姉さん事件」など、当事者にしか語り得ないエピソードが赤裸々につづられています。
「障がい者の性に関する悩みは、自分自身がずっと当事者の事情を知りたいと思ってきたこと。体が動かせなくても、普通の男として当たり前に性欲はある。自分が知りたかったことを発信すれば、同じような誰かのためになるのかなと。一人暮らしを始めて、実際に性サービスを利用してみて、普段とは違う人との関わりの中で、初めて人として認められた、ようやく足りないピースが埋まったような気がしました」
SNSでの発信を巡っては、障がい者に対して好意的な声ばかりではありません。時には心ない言葉を投げつけられることもある中で、それでも発信を続けるのはなぜなのでしょうか。
「もちろん、メンタルによってはへこむこともあります。でも、自分のことを知らない他人に何を言われても気にする必要はないし、逆に何でもかんでも悪口だと捉えたくない自分もいる。中には自分が反省しないといけないこともありますし、障がい者に理解がない世の中なのであれば、当事者もそれを嘆くだけでなく、知ってもらうための努力をしていかないと。現実問題、社会の側に変わってもらわないと、障がい者の生きづらさはなくなりません。自分たちが生きやすい世の中にしていくためにも、もっと多くの人に障がい者の実情を知ってもらうことが大事だと思います」
SNSでの交流から、これまで接点のなかった多くの人に出会うことができたというウッディさん。指先1本で世界を広げていくその姿勢は、たとえ障がいがあっても人生は多くの希望に満ちあふれているのだということを伝えています。
(Hint-Pot編集部/クロスメディアチーム・佐藤 佑輔)
