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父の余命を決めることに? 「胃ろう」か「点滴」か 迫られたアラフィフ娘の決断とは
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日本は世界一の長寿国ですが、「寝たきり老人」が非常に多いという現実を皆さんはご存知でしょうか。スウェーデンでは高齢者が自らの力で食事を摂取できなくなった際、いわゆる“人工栄養”で延命を図ることはせず、寝たきりになる前に穏やかな死を迎えさせるといいます。しかし日本では、大切な家族の死を少しでも先送りにしようと、「胃ろう」を選ぶ人も多いのだとか。今回は、父親の介護に直面しているアラフィフ娘の私がまさに父親の生死の選択を迫られた、少しだけ生々しい話をお届けします。
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コロナ禍で1年以上会っていない父が誤嚥性肺炎に
どんな人間も、必ず迎える「死」。皆さんは、自身がどのような死を迎えたいか、家族にどのような死を迎えてもらうか、考えたことはありますか?
父親が認知症になり、地元の病院に入院してから約1年半。コロナ禍のため見舞いが叶わずにいた3月上旬に、病院から電話がありました。
「お父様が誤嚥性肺炎で倒れました」
こんな状況でも父を見舞うことが叶わず、報告はもちろんすべてが後日談でした。さらにその2週間後、
「のどがほとんど動かないため、点滴と少量の流動食に切り替えました。このまま点滴のままにするか、『胃ろう』手術を行うか、ご家族で話し合って決めてください」
そう、病院から伝えられました。
すかさずネットで検索すると、誤嚥性肺炎からの点滴生活は、早い場合は2週間、長くても半年ほどで死を迎える場合が多いことが分かりました。つまり、点滴を選択するということは、わずかな余命を父に突き付けることになるのです。
だからといって安易に胃ろうを選択することもためらわれました。
胃ろうというのは、手術により腹部に小さな穴を開けてチューブを通し、胃に直接食べ物を送り込む措置。父の場合は食事をとることができず、ただ生かされている状態を長く強いることになるように思えました。
私の父方の祖母は、老後にパーキンソン病を患い、胃ろうで命をつないで最終的には90歳近くまで生きました。しかし、ベッドから出ることもできず、胃ろうのチューブを抜かないよう手にはグローブがはめられました。ただ生かされているだけと感じたことを覚えています。
「もう死にたい」
「殺してほしい」
父や叔父、そして私がお見舞いに訪れる度に、そうつぶやく祖母。それでも私たちは「おばあちゃんが生きていてくれるだけでうれしいのに」と。そう思ってしまう気持ちにフタをすることができませんでした。