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「今は、どの母だろう…」 機嫌を読み続けた20年 39歳で気づいた“心理的虐待”の傷
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友人への暴言、あおり運転…母親に振り回された日々

母親は、近所や知人など周囲の人を電話や対面で怒鳴りつけることもありました。なかでもつらかったのは、酔っぱらったまま自転車に乗って通学路に現れ、Mちゃんさんの友人に「ブース」と暴言を吐いたことです。
また、小学6年生のときには命の危険を感じたことも。習い事への送迎中、同級生の母親に追い越されたことが気に入らなかったのか、急にアクセルを踏み、あおり運転をし始めたのです。
母親に振り回され続けたMちゃんさんは心が不安定になり、中学生の頃には好戦的な性格に。高校生になると、勉強や部活動に対して無気力になり、髪を染めたり、濃いメイクをしたりと、見た目が派手になっていきました。
母が恥ずかしい。そう思い、学生時代は母の存在を隠そうと必死でした。成長し、母と言い争うようになると過呼吸を起こすようにもなりました。
「初めて周囲に助けを求めることができたのは、高校3年生のときでした。親友と、そのお母様からの働きかけで、初めて人に胸の内を打ち明けることができました。彼女たちがいなければ、今の私はどうなっていたかわかりません」
39年気づけなかった「虐待を受けていた」という事実
短大を卒業するまでの20年近くに渡って、母親の機嫌を読む生活を送ってきたMちゃんさん。その後遺症は重く、実家を出て就職をしたあとには、電話のベルや上司の話し声などに強く怯え、冷や汗や動悸が止まらなくなることが多々ありました。
「ストレスにすごく弱くて、体調を崩して休みがちになって……。社会人としてまともに適応できませんでした。PTSD(心的外傷後ストレス障害)のような症状が強く出ていました」
しかし、自身が虐待を受けていたという自覚はありませんでした。考えが変わったのは、自身が子育てをするようになったことがきっかけだったそうです。
穏やかな夫と出会い、義実家での同居生活や子育てを経験するなかで、自身が築いた家庭を見つめ直し、生まれ育った家庭とはまったく違うことに気づきました。
「私は昔から、自問自答して、もうひとりの自分と脳内で会話をするのですが、そのなかで徐々に『私は母のように夫や子どもを罵ることはできない』とか『外で他人を怒鳴ったり、それを娘に見せたりすることはできない』と思うようになって……」
そもそも、日常の中に怒鳴り声があり、怯えながら暮らしていた環境自体が異常だったんだ……。Mちゃんさんは39年かけてようやく、自分が受けてきたものは虐待だったのだと認められるようになったのです。
しかし、その気づきですべてが解決したわけではありません。母親との関係に悩み続けるなかで、Mちゃんさんは自分自身を守るための選択を迫られることになります。
後編では、実家との距離の取り方や、自身の体験を漫画として発信するようになった理由について話を聞きました。
(古川 諭香)