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表舞台を去って15年 マリエを追い詰めた重圧・誹謗中傷…完治10年の闘病 救ってくれた命の恩人

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部/クロスメディアチーム・佐藤 佑輔

壮絶な半生を明かしたマリエさん【写真:藤岡雅樹】
壮絶な半生を明かしたマリエさん【写真:藤岡雅樹】

 芸能界で人気全盛だった2011年、タレントとしての活動休止と米国留学を発表したマリエさん。表舞台を去ってから15年、現在はモデルからデザイナーに転身し、世界を飛び回りながらファッションの仕事に携わり続けています。なぜタレント業に区切りをつけ、日本を離れる選択をしたのでしょうか。壮絶な過去の体験を振り返ってもらいました。(取材・文=佐藤佑輔)

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「彼氏がいれば、それ以外の人には嫌われても何ともなかった」

 モデルになったきっかけは6歳離れた上の姉の影響です。私は3姉妹の末っ子で、同じくモデルをしていた姉にずっと憧れていて、小学校の遠足でも、みんながおやつ選びに悩む中、ずっとコーディネートで悩んでいるような子どもでした。

 11歳のときにたまたま原宿でスカウトされて、モデルとしてデビューしました。その後、高校時代の留学を経て、日本に戻ってきた後の5年間、バラエティー番組にたくさん出させていただいた18歳から23歳までの期間が、きっと皆さんが一番よく知る私の姿だと思います。事務所に「マリエで行く」と推されてからはトントン拍子で、19歳のときには『笑っていいとも!』でレギュラーをしていました。一番忙しいときはラジオも含めてレギュラー番組が週に9本。「急に環境が変わった」という実感を持つ間もないくらいでした。

 当時の日々は今でもなかなか忘れられません。今の自分を作る根源になった5年間。もう20年近く前のことですけど、いいことも悪いことも含めて、本当に貴重な体験をさせていただいた時間だったなと思います。今をときめく一流の芸能人、裏方さんも含めて酸いも甘いも経験したプロの方たちが集まっている場所。今は自分でブランドを立ち上げて、業者の方と直接やり取りをしているんですが、あの時一緒にお仕事させていただいた方たちのことを思い出して、素晴らしかった経験をもとに真似していることがたくさんあるんです。

 当時、私自身が意識していたことは、「嫌なものは嫌」とはっきり伝えること。当然、それが裏目に出ていたこともあると思うんですが、特に衣装に関しては、事務所やクライアントがどう言おうと、かなり自分のこだわりを通させてもらっていたんじゃないかなと思います。今はSNSの宣伝効果がすごいので、衣装屋さんも「どんどん着て!」と衣装を貸してくれるかと思いますが、当時はテレビとはいえ、バラエティー番組に出始めの私は地位が低く、宣伝効果もあまり見込めなかったこともあり、なかなか着たいものを貸してくれなかった。ファッションがとにかく好きだったので、そこはストレスを感じていましたね。

 ただ、番組内でのキャラクターについては、本当に何も考えていませんでした(笑)。自分の評価が下がろうが、わがままっぽく見えようが、「その場のみんなが笑ってくれればそれでいい」という気持ちだけで動いていました。それが周りから見ると「ニーズに合っていた」ということになるんでしょうけど。無理してキャラを作っていたかというと、そんなことはあまりない。私、実はすごい恋愛体質で、今もそうなんですけど、プライベートで「好き」と言ってくれる人がいれば、テレビの向こうの誰に何を言われようと何とも思わなかったんですよ。彼氏がいれば、それ以外の人には嫌われても何ともなかった。