仕事・人生
「戸籍を抜く決意をしました」マリエが明かす家族との絶縁…度重なる裏切りに「自分の心を守る方が大事」
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モデルのプレッシャーと仕事のストレスから適応障害を患い、2011年に芸能活動を休止したマリエさん。その後、ニューヨークの美術大学に留学、10年あまりの時間をかけ、少しずつ体と心の健康を取り戻していきました。一方で、私生活では家族との関係が悪化。約6年前に戸籍を解消、今は絶縁関係にあるといいます。苦渋の決断に至った背景を聞きました。(取材・文=佐藤佑輔)
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「自分でライフプランを考えろ」12歳で父に言われた言葉が引退後の指針に
カナダ人の父はF1の会社を経営していて、当時はあまり意識していませんでしたが、今振り返ると、自分は裕福な家庭に育ったんだと思います。世界中でレーシングの大会があるので、父はほとんど家に帰って来なくて、会社の経理だった母も忙しく、私はほとんどおばあちゃんに育てられました。家には姉たちが読んでいたファッション誌がたくさんあって、それがモデルに憧れたきっかけでもありました。
ただ、通っていた名門と言われる私立の女子校は芸能活動が一切禁止の学校で。12歳のとき「モデルの仕事を続けたいから学校をやめたい」と言ったら、ものすごい剣幕で叱られました。教育熱心だった母は「大学までエスカレーターだから高いお金を払って入れたのに!」、父は父で「俺を納得させたかったら、自分で20歳までのライフプランを考えろ」と言われました。
でも、私も本気だったから、真剣に考えました。「16歳で留学して英語を習得する」「大学はファッションに強い学校に行く」。当時、自宅にあった1台のパソコンで、「ピーヒョロロ」と音を立てるような接続環境の中、必死に何かファッションに関わる場所はないかと調べてたどり着いたのが、ニューヨークのパーソンズ美術大学でした。
それがずっと頭の片隅にあったんでしょうね。適応障害と診断され、タレントのお仕事をお休みするタイミングで、パーソンズ美術大学に留学することを決めました。父に言われたから調べたことではあるんですが、それがいつの間にか自分の夢になっていた。不思議ですよね。今、自分が親になって思うのは、やる気を起こさせるきっかけを作ることって、物理的なサポート以上に子どもにとって大事なんだなと感じます。


