仕事・人生
高嶋政伸さん、280万円の借金が変えた半生 明かした俳優転身の“真実”と、妥協なき役作りの流儀とは
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父・高島忠夫さん、母・寿美花代さんという昭和を代表する俳優を両親に持つ俳優・高嶋政伸さん(※高ははしごだか)。60歳になる今年、ご両親との思い出から愛する息子さんとの日々などを綴った初エッセイ「おつむの良い子は長居しない」(新潮社刊)を出版しました。元テレビ朝日アナウンサーの日下千帆さんが、俳優としての原点と、知られざる役作りの流儀についてお話を伺いました。
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280万円の借金がきっかけになった俳優人生
――俳優一家に育ったこともあり、最初から俳優を目指されていたのかと思っていましたが、もともとは映画監督を志望されていたのですね?
「そうなのですよ。20歳のときに自主映画を撮っていたのですが、2本目の作品で280万円の借金を作ってしまったのです。返済のため、いわゆるいわくつきな高額なバイトなども検討したのですが、結局、親に土下座してそれを肩代わりしてもらうことになったのです。しかし、父からその交換条件として俳優になれと言われ、監督の夢は絶たれました」
――それはショックでしたね。
「はい。人生が一回終わったような感覚でした。その日の夜、空気のようになって部屋でぼんやりと過ごしていたら、母が入ってきて、280万円がどれほどの大金かわかるかと聞かれたのです。父がフルオーケストラバンドを率いてコンサートができる金額だったと言われて、初めてその重さを理解し、父がビッグバンドで歌えるチャンスをつぶしてしまった自分を情けなく思いました」
――どのような作品でそんなに費用がかかったのですか?
「1980年代中盤は、ちょうどミュージックビデオが流行り始めた頃だったのです。映画界とミュージックビデオ界との闘いみたいな映画で、のちに映画『キル・ビル』に出演するジュリー・ドレフュスさんも出演してくれました。出演者の費用はご協力いただいて抑えられたのですが、編集スタジオを3日間借りたら、280万円を請求されました」
――かなり本格的な作品だったのですね。当時、憧れの監督はいらっしゃったのですか?
「スピルバーグ監督です。映画『ジョーズ』が大ヒットした頃、まだ若い監督がジーンズにTシャツで恋人と浜辺を歩く姿を見て、これこそ新しい時代の監督だと思い、憧れましたね」
――そこから俳優の道に進むことになり、当初はどのように過ごされていたのでしょうか?
「まず、顔の大きなほくろを手術で取り、付き人として現場を回るところから始めました。毎日が楽しくて、素晴らしい世界だと思いました。実は、この大きなほくろがあったため役者になりたいという気持ちを押し込めていたのかもと思っています。
初出演のドラマ、NHK連続テレビ小説『純ちゃんの応援歌』は山口智子さんや唐沢寿明さんとの共演がとても楽しく、ビギナーズラックで乗り切りましたが、2作目からは何をやってもうまくいかず、絡みづらいと言われてしまいました」
