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「人生の一番大事な思い出」 リトアニア大使が明かす、皇后陛下の通訳を務めた日 日本語との出合いとは
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初めての来日で感動した、金沢の豊かさと文化

その後、大学生のときに日本の文部科学省の奨学金を得て、1998年に金沢大学への留学が実現します。専攻していたランドスケープデザインの卒論テーマが日本庭園だったことから、兼六園のある金沢を選んだといいます。
初めて降り立った日本での日々を、ジーカスさんは今も鮮明に覚えています。
「独立直後のリトアニアは、いろいろなことが限られていました。だから初めて日本に来たときは、すごく豊かで、技術も優れていて、本当に素晴らしい国だと感動して、魅了されたのは間違いないんです。小さな都市も大きな都市も、交通や制度も、すべて素晴らしいと毎回感動していました」
ただし、当時の金沢は、今のような国際化された街ではありませんでした。
「そのときの金沢は英語が通じる人はほぼいなくて、ローマ字で書かれている案内もほぼなかったんです」
言葉以外に、文化の違いに戸惑う場面もありました。とくに苦労したのが、日本独特の「上下関係」だったといいます。
「ヨーロッパやリトアニアのような国は、上下関係があまりはっきりしていないので、最初はかなり違和感を覚えたんですよね。先輩、後輩の関係性や、お酒の注ぎ方など……(笑)。1年目は学ぶことが多かったです。自分の価値観もありながら、日本人の価値観を理解して受け取るというのは、なかなか難しいものでしたね」
金沢大学での1年にわたる留学生活では、加賀友禅や九谷焼、輪島塗といった地域に根づく伝統文化にも触れました。その後リトアニアに戻って大学を卒業し、再び来日して早稲田大学大学院に1年間留学。そして在日リトアニア大使館の職員として働き始めました。