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蒼井優の”芝居じみた口調”が印象的 込められた重要な意味とは 映画『スパイの妻』

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

作中で映画を作る夫妻 その関係性とは?

『スパイの妻』では、劇中で映画作りが行われる。主演は聡子、監督は優作だ。神戸は日本で初めて映画が上映された場所。ゆえに優作も、映画に並々ならぬ興味を持っていたのかもしれない。聡子もまた、フラッパーな衣装で照れることなく“女スパイ”を演じてみせる。まさしく“女優”だ。

 ここで見せられる“監督と女優”という福原夫婦の関係性には、映画を作る世の男女が導かれがちな“熱愛”という感情(それは監督と女優にも多い)も託されているように思う。福原も聡子もその生い立ちはまったく語られず、どのように結婚に至ったのか私たちは知る由もないが、ここでは2人の関係性が透けて見えるようだ。

 この劇中映画は、伏線として大事な要素を担っているが、それと同時に『スパイの妻』自体をフィクション化する装置となっているのかもしれない。

 撮影をするシーンの照明は、舞台劇のように思い切り強いコントラストで当てられる。他の場面と大きくトーンが異なる。そして、この後、福原は満州へ渡航し、大陸でも撮影をすると持って行ったカメラで、恐るべき国家機密を捉えてしまう。国家機密を握った男がすべきことはなにか? 大胆かつサスペンスフルな物語へと急展開していく。

 リアルな要素を保持しつつ、このサスペンスを描こうとすれば、時代背景的な要素や、それぞれの心理的な変化、生活の描写など、物語を支える要素が増えて主題がぼやける可能性がある。だから黒沢監督は、劇中劇の撮影シーンをきっかけに、いったん要素をシンプルにし、福原夫婦を記号化することで俳優たちの演技に目を向けさせる舞台作りに注力した。そう考えると腑に落ちる。

“フィクションとノンフィクションの狭間”にいる聡子

 歴史劇である本作に取り組むにあたって、黒沢監督はこう言っている。

「すべてにフィクションとして抜かりない完成度が求められる上に、作る側の歴史に対する良識が隅々にわたって問われる」

 要するに聡子は、黒沢監督がフィクションとして抜かりない完成度を担保するために用意した舞台で、このサスペンスの“主演女優を演じている”のだ。このため、妙に“芝居がかった”口調と感じ、聡子自身が“フィクションとノンフィクションの狭間”に立っているようにも見える。

 蒼井優が演じている役柄は、 “名のない主演女優”と“福原の妻・聡子”の両方だ。“名のない主演女優”とは、状況が見えない中、正義たるものを信じて突っ走る市井の人々、たぶん私たち自身だ。80年前を生きる人物を表現するだけで困難なのに、蒼井優には、それをスクリーンに映し出すという使命も請け負っていた。

 撮影や照明、録音、衣装や美術、メイクなどの素晴らしい仕事が、俳優の紡ぎ出す物語を十二分に際立たせ、時代の空気をスクリーンいっぱいに満たす。蒼井優は、その作り込まれたリアルの中で、舞台劇のように“台詞で情景を見せる”芝居をやってみせる。それが醸す得体の知れなさが、この作品をサスペンスとし、ラブストーリーとしているのだと思う。この“得体の知れなさ”を、ぜひスクリーンで目の当たりにしていただきたい。

(関口 裕子)

関口 裕子(せきぐち・ゆうこ)

映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」取締役編集長、米エンターテインメントビジネス紙「VARIETY」の日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを歴任。現在はフリーランス。