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メーガン妃暴露話は矛盾だらけ バッシングを示す資料に大きな間違い 偽造疑惑も

公開日:  /  更新日:

著者:森 昌利

チャールズ皇太子との確執を感じさせるエピソードにも矛盾が

14.チャールズ皇太子が漕ぐ自転車の荷台に乗る幼いヘンリー王子の写真

「今の生活で私にとって最高なのは、アーチーを子ども用シートに乗せて一緒にサイクリングに出かけることです。私が子どもの頃にまったく経験できなかったことができています」

 これはオプラの「カルフォニアに来て幸せか?」という問いにヘンリー王子が答えたもの。しかし「メール」紙は、この発言に強烈なカウンターパンチを浴びせた。若かりし頃のチャールズ皇太子が自転車の荷台に設置した子ども用シートにヘンリー王子を乗せてサイクリングをしている写真を掲載したのである。

 これは1990年にサンドリンガム城で撮影された写真で、ヘンリー王子は当時5歳。まったく記憶にないという年齢ではないだろうが、すっかり記憶から抜け落ちたようだ。しかし聞きようによっては「自分は子どもの頃に父親に遊んでもらったことがなかった」という印象を与える話を、王子はなぜしたのだろうか。援助を打ち切られた話とともに、皇太子との確執を感じさせるエピソードとなっている。

15.メーガン妃はロイヤルファンだった?

「ヘンリー王子と知り合って、誰と付き合うことになるのか、英国王室についてリサーチはしなかったの?」

 ブロガーとしても有名だったメーガン妃にオプラはそう尋ねた。すると妃はヘンリー王子についてネット上で調べたことを“まったくしなかった”と答えた上、「英国王室についてはあまり詳しく知らずに育ちました」とも語った。

 ところが幼なじみスージー・アルダカーニさんの記憶はそんな妃の証言とは大きく異なるようだ。子ども時代の妃はスージーさんと2人で、チャールズ皇太子とダイアナ元妃のロイヤルウェディングのビデオを“1日中観てられた”という。

 また元妃の大ファンだったスージーさんの母親ソニアさんは、憧れのプリンセスの自叙伝を妃にプレゼントしたと証言した。また学校時代の友人ニナキ・プリディさんによると、1996年に妃と一緒に英ロンドンを訪れた際に、バッキンガム宮殿の前で撮ったツーショット写真を公開。また少女時代のメーガン妃も元妃の大ファンで「メーガン(妃)はいつも自分がもしもロイヤルファミリーの一員だったらと夢想していました」と話している。

 昔からの憧れだったと素直に言えばいいものを「英国王室を知らずに育った」と語ったメーガン妃。その心情にはどんな思惑が隠れているのか。もしもまたオプラがインタビューをする機会があればぜひ聞いてほしいものだ。

16.家族から支援を打ち切られた

「私の家族に資金的な支援を“文字通り”打ち切られました」

 これはオプラに「ネットフリックスやスポティファイとの契約で“金漁りのロイヤル”と呼ぶ者もいるが」と聞かれて、ヘンリー王子が返答したもの。日本円にして総額200億円を超える大金は、家族の援助がなくなったために“仕方なく受け取った”という印象を与えた。しかもこうした大型契約は“まったく予期しないものだった”そうである。

「メール」紙の取材によると、王室を引退した直後にも、ヘンリー王子にはチャールズ皇太子から日本円にして数千万円の援助があったという。またダイアナ元妃の遺産が1200万ポンド(約18億円)あり、曽祖母(エリザベス女王の母)からも200万ポンド(約3億円)の遺産がある。日本円にして合計で21億にも上る資産を持ち、しかもメーガン妃にも300万ポンド(約4億5600万円)の自己資金があると言われている。

 そもそもヘンリー王子も現在では36歳。中年に差しかかる年齢で「家族に援助を打ち切られた」という話は似合わない。それに16も寝室がある15億円豪邸を購入したのは夫妻の勝手。それで金銭的に困窮したと言われても世間は納得しないはずである。

17.プリンスでなければ受けられないアーチーくんの警護

 メーガン妃は当初「称号にこだわったことはなかった」という。しかしアーチーくんに「プリンス」の称号が与えられない場合は、警護が付かないという話を妊娠中に聞かされ、考えが変わった。

 しかし、この主張も王室スタッフが「バカバカしい」と一蹴。「メール」紙の取材に応じた王室筋は、ヘンリー王子が王室の主要メンバーである限り、その妻も子どもも自動的に英国警察のロイヤル警護チームの保護下に置かれると明言。妃の主張は「論理的ではない」とした。

 しかし、こうした厳重な英国警察の警護が受けられるのも、王室主要メンバーに限られる。例えば、ベアトリス王女とユージェニー王女は2011年まで24時間体制の警護を受けていたが、父親のアンドリュー王子が王室主要メンバーから外れると、厳重警護の対象から外れた。

 とすれば王室を“引退”して米国に移住したヘンリー王子が英国の警護対象から外されるのは当然だ。

 ただ、本人は「この立場に生まれ落ちて、リスクも受け継いだ。それなのに警護を解かれて、正直ショックだった」と語っている。「メール」紙はこの警備に関する決断も、王室が家族として下したものではなく、王室メンバーという公人の立場を踏まえた“政治的なもの”と解説した。

 けれどもヘンリー王子夫妻は、こうした警備問題も含めて、事前に“王室引退”を仔細に検討すべきだったのではないか。一般的には、王室の仕事を辞めて、海外に移住しても英国政府の警護が継続されると思う方が間違っているというのが常識的だ。

夫妻のインタビューは起死回生を懸けたギャンブルだったが…

 面白かったのは、この「メール」紙の記事を読み終えた筆者の妻が、「メーガン(妃)はもう少し賢いかと思っていた」と感想を漏らしたことだった。確かに米国では自分を良く見せること、ポジティブに語ることは“善”なのだろう。

 しかし、そのために何を言ってもいいというわけではない。その言葉が海を越えて英国に向かえばなおさらだ。2人にとって今回のインタビューは起死回生を懸けたギャンブルだったと思う。王室を“引退”し、賛否両論を生み出したカップルが、自分たちを否定する意見を一掃しようとした試みだったように見える。

 ただ、宿敵の英タブロイド新聞に“17”もの矛盾点を見つけられてしまえば、お世辞にも“賭けに勝った”とは言いづらい。

 メーガン妃は王室内の人種差別を訴え、封建的で冷たい仕打ちから自殺願望まで抱いたと告白した。そして、それが確たる真実だと訴えるためにさまざまな主張もくっつけた。ところがその中に“虚偽”とも呼べる矛盾が多数入り込み、結果的にはこのインタビューで新たな苦境を生み出してしまったように見えてしまう。

(イギリス・森昌利/Masatoshi Mori)