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稀有な少女スターから巧みな表現力の役者へ 原田知世が53歳の今も醸す独特の空気感

著者:関口 裕子

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(c)2020 映画「砕け散るところを見せてあげる」製作委員会
(c)2020 映画「砕け散るところを見せてあげる」製作委員会

 1967年に生まれ、今年11月で54歳を迎える原田知世さん。14歳だった1982年にドラマ「セーラー服と機関銃」(フジテレビ系)でデビューし、薬師丸ひろ子さんに続く角川映画の少女スターとして、老若男女を問わず幅広い支持を集めました。その後も女優・ミュージシャンとして活動を続け、NHK連続テレビ小説「おひさま」(2011)の母親役などでも注目されました。しかし、デビュー当時からの独特な空気感は現在も変わっていません。映画最新作『砕け散るところを見せてあげる』につながるこれまでの演技人生、その魅力について映画ジャーナリストの関口裕子さんに解説していただきました。

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稀有な少女スター 当時の“芸能界”の流れにはなかった存在

 松任谷由実が作詞・作曲した「時をかける少女」は、暖かい日差しに包まれた春の日の午後のような歌だ。原田知世が歌うとその甘やかな感じは増幅される。透き通った声のためなのか、その佇まいなのか。たぶん両方なのだろうが、男性ファンが圧倒的というより男女ともに支持されていたように思う。稀有な少女スターだった。

 デビュー時こそ「セーラー服と機関銃」、「ねらわれた学園」(ともに1982・フジテレビ)と薬師丸ひろ子が主演した大ヒット映画のドラマ版に続けて出演したが、当時の原田知世は映画でしか会えないアイドルだった。映画館に足を運ぶしかなかったファンは何度も通い、『時をかける少女』(1983)の和子、『愛情物語』(1984)の美帆、『天国にいちばん近い島』(1984)の万里、『早春物語』(1985)の瞳に恋をした。

 大ヒットした映画の主題歌で音楽番組に出演する際は、ファンは大いに盛り上がった。もちろんSNSなどない時代。それでも全“原田知世ファン”が一体になった感じはあった。

 原田の魅力は、音楽番組に出演していた同世代のアイドル歌手とは違ったところにある。音楽の授業のような正しい発声での歌唱、司会者とのトークも定型のリアクションなどではなく(当時は定型なるものは少なかったが)、饒舌ではないものの自分の言葉で語っていた。大人のプロデュースはあったろうが、当時の“芸能界”の流れにはない存在だったのだ。

 だからこそ同世代のファンは、テレビに出ていない時間の彼女に、自分と同じような放課後の物語を重ね、さまざまに妄想し、テレビで発信される以上のものを勝手に共有したのだろう。それは恐ろしくも幸せな時間だった。