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手を抜かずに生きる富司純子75歳 私物の着物で出演した『椿の庭』に見る究極の美しさ

著者:関口 裕子

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(c)2020“A Garden of Camellias”Film Partners
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 1963年に17歳で「藤純子」としてスクリーンデビューした富司純子さん。1972年の結婚引退後は司会者としての復帰や出産にあたる休業を経て、80年代初頭に女優として復帰しました。1989年からは映画出演も再開。75歳の現在は、見事な演技と唯一無二の存在感で誰もが認める日本の名女優です。そんな富司さんの最新主演作は『椿の庭』。衣装として私物の着物を提供するなど、並々ならぬ意欲を見せた作品です。映画ジャーナリストの関口裕子さんに、本作を通じて「名女優・富司純子」を解説していただきました。

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売れっ子女優、結婚引退、司会業での復帰…そして不動の名女優へ

 生きることへの試行錯誤の跡が、静かな力となって伝わってくる名女優・富司純子。60年代終盤に始まった映画『緋牡丹博徒』シリーズでは緋牡丹の刺青を背負った女渡世人を演じ、東映のトップスターとなった。

 父・俊藤浩滋は東映のプロデューサーであったが、東映でのデビューは偶然と言ってもいい。勧められて受けた松竹京都でのカメラテストの帰り、隣にある東映京都撮影所に父を訪ねた際、マキノ雅弘監督(当時の表記)にスカウトされたのがきっかけだから。「藤純子」としてデビューしたのは、そのマキノ監督による『八州遊侠伝 男の盃』(1963)。17歳、高校生だった。

 6歳から日本舞踊を習っていたため、所作や着物の着付けは当たり前。宝塚歌劇団を志望していたこともあり、声楽やバレエも身に付けていた。お芝居に関しては、初代中村錦之助や二代目大川橋蔵らが人気を誇った時代劇と入れ替わるように台頭した“任侠映画”で、鶴田浩二や高倉健の相手役を演じながら、独特の美学である“粋”や“寂”を学んだ。

 そうして東映では91本の映画に出演し、1972年にオールスター総出演の『純子引退記念映画 関東緋桜一家』で見送られ引退。NHKの大河ドラマ「源義経」(1966)で静御前を演じた際、義経として共演した歌舞伎俳優・七代目尾上菊五郎と同年に結婚した。

 東映時代はマキノ監督をはじめ、中島貞夫監督、加藤泰監督、鈴木則文監督ら巨匠が“テーマを仮託する俳優”の1人としてスクリーンで輝いた。一方で主婦層には、本名の「寺島純子」として出演したワイドショー「3時のあなた」(フジテレビ)司会者の方が認知度は高かったかもしれない。

 梨園の妻として、母として家を切り盛りし、テレビ司会者の仕事もこなした。がむしゃらだったという70~80年代を経て、1989年にファンの熱い声に応え、「富司純子」に改名して降旗康男監督・高倉健共演の『あ・うん』で女優業に復帰する。

 復帰した富司純子を『緋牡丹博徒』シリーズのファンだった監督(シネアスト)たちが放っておくはずない。大林宣彦(『ふたり』1991)、相米慎二(『あ、春』1998)、深作欣二(『おもちゃ』1999)、李相日(『フラガール』2006)、市川崑(『犬神家の一族』2006)、周防正行(『舞子はレディ』2014)をはじめ、他にも多くの監督が次々とオファーした。

 だが、長く映画界を離れていた富司にとっては、名前を知らない監督が増え、オファーにも戸惑うものも多かったという。例えば相米慎二。『あ、春』への出演を積極的に勧めたのは娘の寺島しのぶだった。この作品で演じた公代しかり、これまで富司が演じた役はどれも富司をおいては考えられない。富司に正しい助言をした寺島しのぶには感謝しかないだろう。