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美馬アンナさん「心に刺さる」 義足の球児が障害持つ子の親に伝えたいこととは

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・佐藤 直子

義肢でスポーツに励む子どもたちへ「頑張ったら何かしらの形で報われる」

司会:義手や義足を使いながらスポーツに励んでいる子どもたちは少なくないと思います。健常者と同じ土俵で野球を続けてきた曽我さんから“後輩”たちにメッセージをいただけますか。

曽我:僕が何かを言える立場にはありませんが、頑張ったら何かしらの形で報われると思います。それは競技の結果として表れるわけではないかもしれませんが、頑張り続けることで新しい人とのつながりが生まれるなど、メリットになることは必ずある。

自分が生きていく上で「報われた」と感じることはありますし、やると決めて諦めずに続けていれば、少しでも見えてくる何かがあるんじゃないかと思います。

アンナ:曽我さんは甲子園出場という結果も出しましたが、野球を通じて生まれた縁やつながりはもっと大きなものなんでしょうね。私なんか「頑張っても全然報われない……」なんて思うこともありますが(笑)、曽我さんのお話を聞いていたら、自分の頑張りが足りないような気がしてきました。

ちゃんと頑張った人たちには、いい形で返ってくる。私もそうなりたいし、息子にもそういう風に育ってほしいですね。

司会:アンナさんのように親の立場にある方々に、子の立場であった曽我さんから何かアドバイスはありますか。

曽我:障害といっても、大きいものから小さいものまでさまざまです。僕自身の障害の程度は日常生活に不便があるわけでもないし、運動もできるわけだし、全体的に見ても大したことはない。中には運動ができない子もいたり、補助があればできる子もいたり、状況はいろいろあると思いますが、それでも親が勝手に子どもの限界を決めないであげてほしいと思います。

「この子には無理だろう」と思わずに、子どもが何かにチャレンジしたいと思ったら、すべてを受け止めて、前向きにサポートしてもらえたら、何か開けるものがあるんじゃないかと思います。

アンナ:親が勝手に限界を決めない。なるほど。実体験が伴っているから深い言葉ですね。

曽我:僕の場合、親が「野球なんて無理だ」と決めつけたり、人の目を気にしてあまり外に出さなかったりしていたら、甲子園にも行けなかったし、まったく違う人生になっていたのかなと思います。チャレンジする前から勝手に「できない」と決めない方がいいと思うんですよね。

アンナ:本当に心に刺さる言葉ですね。私も最初のうちは、周りの目が気になって外に出るのがつらかったり、家に帰ってきたらすごく疲れて「もう出るのが嫌だな」と思うこともありましたが、これではダメだと思って。

どんな風に見られてもいいから、いろいろな場所に連れていって、いろいろな経験をさせようと、外に目を向けるようになってから、新しい絆やつながりができた気がします。曽我さんの言葉を聞くと「間違っていなかったんだ」と自信が出ます。

曽我:よかったです(笑)。

アンナ:今は軟式野球をお休みなさっているようですが、また始める予定はあるんですか。

曽我:少し前、知り合いに誘われて久しぶりに草野球をしたら、やっぱり楽しかったんですよね。「どんな形でも野球を続けたい」という気持ちが出てきました。

アンナ:ぜひ続けてください。

曽我:もうだいぶおっさんですけど(笑)。

アンナ:気持ちがあれば、いつでも大丈夫ですよ!(笑)

<終わり>

◇曽我健太(そが・けんた)
1985年、愛媛県生まれ。5歳の時にミカンを運ぶトロッコの車輪に左足をはさまれ、足首から先を失う怪我を負い、義足を使い始める。小学3年生から軟式野球を始め、主に投手として活躍。強豪・愛媛県立今治西高等学校への進学後は投手兼内野手としてプレーしたが、2年秋から三塁手に本格転向。3年生だった2003年夏に県予選で打率.571と打線を牽引し、全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)に出場した。好守も高く評価されたが、チームは惜しくも2回戦敗退。卒業後は龍谷大学に進学し、現在は滋賀県の大津市役所に勤務。

(Hint-Pot編集部・佐藤 直子)