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夫・伊丹十三と100%で映画に向き合った宮本信子 行き着いた“美しさ”の理由とは
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今年76歳を迎えた宮本信子さん。映画やテレビドラマ、舞台と広く活躍している俳優ですが、認知度が大きく上昇したきっかけといえばやはり『お葬式』(1984)をはじめとする夫・伊丹十三さんが監督した映画作品の数々でしょう。夫であり監督、妻であり主演俳優という夫婦生活とは、一体どのようなものだったのか? そうして作り出された“物語”が、山田洋次監督の最新作『キネマの神様』では重要な要素になっているようです。そんな宮本さんの魅力について、映画ジャーナリストの関口裕子さんに解説していただきました。
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“映画監督の妻”になれなかった女性を熱演した『キネマの神様』
NHK連続テレビ小説「あまちゃん」(2013)で、ヒロイン天野アキの祖母“夏ばっば”を演じた宮本信子。彼女がその年の「第64回NHK紅白歌合戦」で審査員を務めた時の美しき姿は、「俳優は役を演じているんだ」と当たり前のことを感じさせた。
それは例えば、生活に苦しむ貧しい母親役を演じた俳優が、米アカデミー賞の授賞式でハイブランドのドレスに身を包みレッドカーペットを歩くのと似ているが、やや異なる部分もある。この時とばかりに“張り切った”美しさではなく、宮本が持つ“日常の美しさ”を目撃したという感じ。宮本信子は不思議な俳優だ。
現在公開中の山田洋次監督『キネマの神様』(2021)では、映画監督への道をドロップアウトしたゴウ(沢田研二)を支え、彼のギャンブル好きも、借金も容認し、娘の歩(寺島しのぶ)から離婚を勧められても最後まで添い遂げようとする妻・淑子を演じている。
若い時のゴウ(菅田将暉)は松竹撮影所の助監督。自分で練り上げた脚本で映画監督としてデビューしようとするがうまくいかない。撮影所前の食堂「ふな喜」に入り浸っては、夜な夜な撮影所の若手スタッフ、キャストで映画論をぶつけ合う。若き日の淑子(永野芽郁)はそんな「ふな喜」の看板娘だった。
撮影所のモデルは山田洋次監督が若かりし頃を過ごした松竹大船撮影所。ウェルメイドな脚本を書く山田監督は、キャスティングされた役者と話した上で興味を持った部分をピックアップし、当て書きをすることでも知られる。
周知のことだが、宮本信子のパートナーは故・伊丹十三さんだ。ゴウは映画監督にならなかったが、もしかするとその分岐点をほんの少し違う方に進んでいたら、淑子は映画監督の妻であったかもしれない。
≒(ニアリーイコール)“映画監督”というゴウの非日常性に説得力を与えるため、山田監督は宮本の話を聞き、脚本に盛り込んだのではないか。それは、もしかすると映画監督である山田洋次自身も持て余してきたもので、それを宮本から引き出すことで、観客が理解しにくい部分に説得力を持たせようとした……そんな気がした。
妻・宮本信子が持つ演技の才能を買っていた伊丹十三
宮本信子は1945年に北海道で生まれ、愛知県名古屋市で育った。叔父が名古屋で映画館を営んでいたことで、小さい頃からさまざまなジャンルの映画に親しんでいる。高校を卒業した1963年からは文学座付属演劇研究所で学び、劇団青芸の『三日月の影』(1964)で初舞台を踏む。
夫となる異能の人・伊丹十三(当時は一三)とは、ドラマ「あしたの家族」(NHK・1965-67)で初共演。大島渚監督『日本春歌考』(1967)でも共演し、1969年の結婚に至った。1972年にはフリーになり、長男で現在は俳優の池内万作を出産。以降、1984年公開の伊丹十三監督『お葬式』まで10年強、子育てのために仕事をセーブした。
『お葬式』で初めて宮本信子を認識した人もいるかもしれない。だが、出産後すぐに夫の浮気に猜疑心を燃やす若妻役で出演した森谷司郎監督『放課後』(1973)など、出演作は「秀逸」など高評価を受けている。次回作を期待されたが子育てを優先し、撮影に時間を要する映画には『四季・奈津子』(1980)まで出演しなかった。
短編映画やテレビのドキュメンタリーを撮り、演出家の腕も評価されていた伊丹十三との“夢”は劇映画を撮ることだったという。「伊丹十三という人は必ず映画を撮る。撮らなきゃいけない。撮ってほしいとずっと思っていた」と宮本は言っている。『お葬式』は伊丹の長編劇映画監督デビュー作である。亡くなった宮本の父親の葬儀にインスピレーションを得て作られた。
宮本が持つ演技の才能を買っていた伊丹は、かねてから宮本に主演作がないことを惜しんでいた。他の監督が主演に選ばないのであれば自分がオファーすればいいと、『お葬式』では山崎努とダブル主演に指名する。
設定も実生活同様、夫(山崎)も俳優である女優・千鶴子を演じたが、「千鶴子はあくまでも映画の世界の人物であり、自分とは別物」と矛盾を感じることなく、シュールな笑いに包まれるこの映画に、リアリティをもたらすことに注力して演じたと言っている。(山崎努の崎は「たつざき」の「崎」)