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実は謎めいている「桜」の語源 代表的な3つとは 花見の風習はいつ生まれた?
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今年も桜の開花が気になる時季になりました。日本気象協会によると、2022年の開花予想は平年並みのところが多く、北陸や東北、関東は一部で平年よりやや早めになる見込みだそう。3月20日頃から順に、桜の開花に関するニュースが届きそうです。日本人が愛する桜の花について、「さくら」と呼ばれる理由や花見の由来について解説します。
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桜の語源 昔は花見といえば梅だった?
日本を代表する花といえば桜ですが、その語源にはどこか謎めいたところもあります。諸説ある中でも、代表的なものは次の3つです。
【1. 神様の宿る場所の意味が語源説】
冬の間は山にいた田の神様が、春になると里へ降りてきて桜の木に座すと考えられていました。「さ」は稲や田の神様を、「くら」は神様の座る場所「御蔵」を意味し、桜の花の咲き具合でその年の稲の豊作を占ったそうです。農民たちは桜の木の根元に酒をまくなどして豊作祈願しました。
【2. 木花咲耶(コノハナサクヤ)姫が語源説】
桜の花のように美しく、はかなく散ったコノハナサクヤ姫は、「古事記」や「日本書記」などに登場する女神。そのサクヤから転じたともいわれています。父神は、日本の山の神の総元締め大山祇命(オオヤマツミ)です。
【3. 咲くに接尾語が付いた説】
「咲く」に花の密生する植物全体を意味する「ら」がついて名詞になったとの説も。「ら」は複数を意味するともいわれています。
いずれにしても、「桜」の語源については、さまざまな言い伝えや説があり、定説はないとされています。
花見の風習はいつから? 元々は梅の花
花見の風習は奈良時代からあったとみられています。ただし、この頃に詠まれた歌は「梅」にまつわるものが多く、梅で花見をしていた説も。平安時代になって、貴族たちは美しい桜の花を愛で、宴を開いて歌を詠みました。それが花見のルーツといわれています。
鎌倉時代以降、花見は武士の間にも広まっていきました。豊臣秀吉が開催した「吉野の花見」や「醍醐の花見」が知られています。江戸時代になると庶民にも花見の風習が広がりました。8代将軍・徳川吉宗が飛鳥山(東京都北区)や隅田川の土手などに桜を植樹すると、江戸の人々は美しい桜を見て弁当を食べたり、歌ったりしながら、春を楽しみました。