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はかなげではない浜辺美波 新たな顔を見せた『やがて海へと届く』が伝える“対話”の重要性
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10歳で公開オーディションに参加し、芸能界入りを果たした浜辺美波さん。8月に22歳を迎える今年は、1月からの主演ドラマ「ドクターホワイト」(カンテレ・フジテレビ系)で注目を集めています。華奢な体にやわらかな笑顔から、清純派のイメージを抱いている人も多いでしょう。そんな浜辺さんの映画最新作は中川龍太郎監督の『やがて海へと届く』。大学時代に知り合った女性2人を描くこの作品で、浜辺さんのイメージが少し覆されるかもしれません。浜辺さんが見せている“新たな顔”とは一体どのようなものでしょうか? 映画ジャーナリストの関口裕子さんに解説していただきました。
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「親しく時間をともに過ごしていても見えているのは側面でしかない」
近い存在だと思っている人のことほど、実はよく知らないのかもしれない。最近もそう思わせられることがあった。例えば、親。家族として長い時間、生活空間を同じくしてきたものの、彼らが子どもの頃、どんな生活をし、どんな風に考え方を構築してきたのか、実はよく知らない。
ある日、隣に親を乗せて車を走らせていると、「幼少の頃、この辺で焼夷弾の空襲に遭った」と切り出され、大いに驚いたことがある。その時、痛感させられたのは「誰よりも知っているように思っていたが、私はこの人のごく一部しか知らないのだ」ということだった。
あまりの近さゆえ、わざわざインタビューすることもないが、実は身近な人にこそ一番聞くべきなのかもしれない。「一体あなたはどんな人なのでしょう?」と。
そう思っていた矢先、「まさしく!」と共感するコメントに出合った。「どんなに親しく時間をともに過ごしていても人と人である限り、見えているのは側面でしかない」。そう語っていたのは俳優の浜辺美波。中川龍太郎監督の映画『やがて海へと届く』で岸井ゆきのとダブル主演した役についてのコメントだった。
女性同士の親密さの中にある微妙な感情
『やがて海へと届く』は、大学入学時のにぎわいの中でぎこちなく出会った2人の女性の、およそ10年にわたる物語だ。原作は彩瀬まるの同名小説(講談社刊)。東日本大震災の前日に旅に出たまま戻らない親友のすみれ(浜辺美波)と、5年経った今もそれを受け入れられない真奈(岸井ゆきの)の葛藤と真実を探す旅を描く。
出会った当初からシンパシーを感じていたすみれと真奈は、必然的に惹かれ合い、同じ傾向のものを好み、体験するようになる。にもかかわらず、互いに相手は“自分とは生きる世界が違う”と思い込んでいる。でも近くに居続けたいからこそ、遠慮して本音でぶつかれない。やがてそうしていることが距離を生み、真意を伝えるタイミングを逸してしまう2人。
スクリーン越しに見ている我々は、物理的には近いのに2人の気持ちが伝わらないことをもどかしく思う。ここで描かれるのはまさしく“近いからこそ見えないもの”だ。
『やがて海へと届く』のプレミア試写会イベントで、女性同士の親密さの中にある感情を尋ねられた浜辺は、「嫉妬をし合うというか、女性同士だからこそ逆に取り繕ってしまうのは分かるような気がします」と語っていた。「私の友人のあり方的に、女性と会う時ほどお化粧を頑張ってしまったり、弱い部分を見せすぎないようにするなど、気の遣い方がまた違う」と。
“嫉妬”と言っているが、たぶん自分にないものへの“憧れ”という意味で使っているのだろう。憧れている部分を尊重し、イーブンな関係でいたいと思うがゆえに、相手にとって心地よく負担にならない存在でいたい。浜辺はすみれの真奈への思いをそう解釈し、「分かるような気がする」と言ったのではないだろうか。この発言には素の浜辺が透けてみえるようにも感じられ、少しドキリとした。