カルチャー
伊藤沙莉が見せる「負けを知る強さ」 ドライバー役の絶妙な芝居につながった道とは
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俳優に声優、ダンサーなど多くの顔を持つ伊藤沙莉さん。2003年に9歳で「14ヶ月~妻が子供に還っていく~」(2003・読売テレビ・日本テレビ系)に出演した子役時代を覚えている人も多いでしょう。27歳になった現在は、巧みな芝居を見せる俳優に成長しました。映画最新作は松居大悟監督の『ちょっと思い出しただけ』。タクシードライバーとして、絶妙なリアクションの芝居で存在感を発揮しています。その背後には、生き方すらも役に投影してきた俳優人生があるようです。映画ジャーナリストの関口裕子さんに解説していただきました。
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タクシードライバーはリアクション芝居のうまい俳優?
タクシードライバーは、通常の人間の何倍もの人生を生きると聞いたことがある。真偽はさておき、確かに大抵の人は後部座席に乗り込むやいなや人間が運転しているのを忘れ、まるで自宅にいるかのように携帯電話や同乗者同士で話すなどする。
都合の悪い話には聞こえてないふりを、話しかけてほしそうであれば簡潔にリアクションしながら“安全運転”を遂行するドライバー。タクシードライバーは、技術者であり、サービス業なのかもしれない。そしてその様子は、ベテランになればなるほど、リアクション芝居のうまい俳優と似ているような気がする。
ユニークな形式で描かれる松居大悟監督のラブストーリー『ちょっと思い出しただけ』(2022)で、そんなタクシードライバーを演じるのは伊藤沙莉(共演は怪我でダンスを諦めた佐伯照生を演じた池松壮亮)。現在放送中のドラマ「ミステリと言う勿れ」(2022・フジテレビ系)の新米刑事、風呂光(ふろみつ)という、らしからぬヒロイン役でも話題だ。
人と競うことを避けていた伊藤 オーディションに落ちた経験も
伊藤は2003年、9歳の時にドラマ「14ヶ月~妻が子供に還っていく~」でデビューする。演じたのは、薬を飲んで小学生時の体に戻ってしまったアラサーのナツキ。外見は小学生なのにその言動はまさに大人としか思えず、文字通り視聴者の度肝を抜いた。
伊藤は当時、俳優になりたいと思ったわけではなかった。3歳から習い始めたダンスは、小学3年頃には都内の大手ダンススクールでグループを組んで活動するまでに上達。「14ヶ月」はそのスクールの掲示板に貼られていたオーディション情報の一つで、友達のお母さんに誘われて受けたのだそう。「まさか、受かるとは思わなかった」というが、伊藤のハスキーな声はナツキ役にぴったりであるだけでなく、どこか惹き付けられるものがあった。
大人からの称賛と、演じることの楽しさ、「女王の教室」(2005・日本テレビ系)で共演した天海祐希からのお褒めの言葉もあり、気持ちはすっかり芝居へ。だが学校もある中、芝居の仕事とダンスを両立させられず、ダンスは諦めざるを得ない結果となる。
とはいえ、まだ俳優業を確立できていたわけでもない伊藤は、オーディションを受けて役を得る身。またティーンから大人になる微妙な年頃の役を演じるのに、オンリーワンの魅力であるハスキーボイスが邪魔をしているようにも感じた。
オーディションに落ちることも多々あり、それが続くと自分を肯定する居場所を失ったように感じ、家族や友人、社会にとって“俳優でなくなった自分の価値はあるのか”という不安を抱くようになったという。
人と競うことを嫌い、避けたいと思っていた伊藤。当時の彼女には役を勝ち取っていくことは耐えがたいことだったのかもしれない。役を得るとは、相手に勝るものを見せ付け、覇者になることだからだ。