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はかなげではない浜辺美波 新たな顔を見せた『やがて海へと届く』が伝える“対話”の重要性
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『やがて海へと届く』では“自身で物事を決めなければいけない大人”に
元々のイメージが役作りに貢献する作品が続いたため、後の『やがて海へと届く』は、これまでとはかなり異なって見える。違いを簡単に言うと、『やがて海へと届く』の浜辺は自身で物事を決めていかなければいけない大人であることだ。
限りのある命を目いっぱいに生きようとする『君の膵臓を食べたい』(2017)の少女や、振り幅の広い演技を見せたドラマと映画「賭ケグルイ」シリーズのギャンブルマニアの少女、悪夢の世界を作った大人たちと戦うファンタジー『約束のネバーランド』(2020)の少年のような少女とも違う。
浜辺が演じるのは、美しくはっきり物を言うミステリアスなすみれ。引っ込み思案で意思をはっきり示せない真奈を、新歓コンパの傍若無人さから助けた。それをきっかけに親しくなっていったある日、実家を飛び出して一人暮らしの真奈を訪ね、一緒に暮らし始める。当初、すみれは真奈の部屋を「海の底みたいに落ち着く」と言っていたにもかかわらず、1年半が過ぎた頃、恋人の遠野(杉野遥亮)と同棲すると言い出し、出ていってしまう。
“友情”はそれからもたまに会って話をする形で続くが、食事をしたある夜の翌日からすみれは行方知れずとなる。一人旅に出ると告げたまま。それから5年――。真奈はすみれの不在を受け入れられない。なぜ突然、すみれは真奈の家を出ることにしたのか? その時、自分がすみれに抱いた感情は何だったのか? 曖昧にしていた真実を見つけに真奈は動き出す。
映画はすみれが片時も離さず持ち歩く“ビデオカメラ”を通して、2人の関係を明らかにしていく。すみれは遠野から「カメラがないとしゃべれないんでしょう?」と図星を指される。常に居心地の良い距離感を意識して生きるすみれには、何も考えずにただそこに存在することはできない。ビデオカメラは一緒にいたい相手との一番近い距離を測る道具なのだ。
一方で、真奈を知りたいと思っているすみれは、ビデオカメラを通して能動的に聞き出そうとしていたのだと思う。日常では聞き出しにくいことも、カメラを通した距離感であれば照れずにできる。ただ、すみれと真奈の場合は、相手を知りたいと思い、聞くことを始める時間が異なった。そのまま離れてしまうことが、永遠の別れとなるとは思わずに。
大人になったからといって要領よく立ち回れるわけではない。むしろより良い関係を保ちたい相手であればあるほど、涼しい顔を見せながらも、水面下では必死に足を動かすのかもしれない。すみれのように。
物語とはやや異なるが、浜辺美波の見せた新しい一面には強い生命力が感じられた。そしてこの映画からは、近しい人との対話は必要だという切実さを受け取った。
『やがて海へと届く』4月1日(金)よりTOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー(c)2022 映画「やがて海へと届く」製作委員会
(関口 裕子)
関口 裕子(せきぐち・ゆうこ)
映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」取締役編集長、米エンターテインメントビジネス紙「VARIETY」の日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを歴任。現在はフリーランス。