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「辞めるなら今しか」 有名企業を退職してプロ映画監督に 安田真奈監督のタフな経歴
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昨年12月に大阪で公開された、実験的短編映画『あした、授業参観いくから。』。7つの同じセリフが5つの家庭で繰り返されながらも、まったく異なる親子模様が浮かび上がるという作りがたちまち話題を呼びました。「胸が熱くなる」といった感想や子を連れて再鑑賞したという声も。そんな評判を受けて神戸と名古屋でも上映された後、4月16日からはいよいよ東京に上陸します。親子関係を見つめ直すきっかけにもなるこの作品を手がけたのは安田真奈監督。学生時代から映画作りを始め、プロの監督になるため長年務めた大手企業を退職し、後に結婚と出産も経験しています。今回のインタビュー前編では、そのタフな半生について語っていただきました。
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森田芳光監督の『家族ゲーム』に衝撃を受けて
映画監督を目指した発端は、森田芳光監督の『家族ゲーム』(1983)です。高校に入る直前にテレビで観て、「何だ、これは!」と。映画の世界とは、美男美女の恋愛や『スター・ウォーズ』シリーズ的なスペクタクルなど非現実的なものばかりだと思っていたので、中流家庭に家庭教師が来るという日常的な設定がこんなに面白い映画になるのかと衝撃を受けたんです。
それで高校入学と同時に映画研究部に入り、8ミリ映画の制作に参加しました。芸大に行って映画の勉強をしたいという気持ちもありましたが、美術が得意なわけでもなく、学費も高そうなので大学は法学部へ。バブルの真っ最中のことで、大学時代の私はみんながブランドの服を着て海外旅行に出かけている中、ただただバイト代を8ミリ映画につぎ込んで作品を撮っている、ちょっと変わった奴でした。
法学部でしたが法律関係に進まず、就職活動では一般企業を受ける人も多かったです。私も“モノづくり”が好きなので、メーカーを中心に受けました。メディア関係も受けましたが落ちましたね。最終的には家電メーカーに就職したのですが、メディア関係に執着はなかったです。自分の地味な作風には、華やかなメディア関係より地に足のついた仕事が合うだろうし、メーカーの方が自分のペースで撮り続けられるのではと思いました。
でも、家族は社会人になってまで映画作りを続けるとは思っていなかったみたいです(笑)。残業も出張もある職場だったので、作業するのはどうしても夜中。夜遅くまでスプライサー(フィルムをカットしつなげる機械)をガッチャンガッチャンやっていて、「道楽も大概にしなさい!」と怒られていました。