仕事・人生
生後間もない子牛を安楽死…衝撃受けた女性が“家畜写真家”になるまで 「命を伝えたい」
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農業、林業、漁業から成る第一次産業は、1960年頃まで日本経済を支えてきた基幹産業。農業と聞くと真っ先に米や野菜作りを思い浮かべますが、酪農や養豚、養鶏といった畜産業も含まれます。さまざまな分野で活躍する女性たちにスポットライトを当て、その人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。今回は「家畜写真家」という珍しい肩書きを持つ瀧見明花里さんの前編です。北海道札幌市で生まれ育った瀧見さんが、銀行員を1年で辞めて向かった先は農業大国のニュージーランド。そこから家畜写真家として独立に至るまでのお話を伺いました。
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3Kと言われる第一次産業に疑問 ワーキングホリデーでニュージーランドへ
瀧見さんは大学時代、第一次産業に関わる企業を中心に就職活動をしていたそうです。
「第一次産業は今また持ち直してきていますが、当時は3K(きつい、汚い、危険)と言われ、イメージがあまり良くありませんでした。私は昔からこれに疑問を感じ、衣食住の中でも一番大切な食を担ってくださる方々のために、何かできないかなという思いが強かったのです」
食に直接携わる仕事には就けませんでしたが、第一次産業系銀行で社会人生活をスタートしました。ところが、郊外支店の勤務を希望したものの、中心部の札幌支店に。1か月くらいで自分には合わないと感じ、1年後に退職しました。そこで思い出したのは、友人がニュージーランド留学を満喫していたことです。
「半分は現実逃避みたいなところもありましたが、自分が本当にやりたいことをニュージーランドで見つけて帰ってこられたらいいなって、勢いで行っちゃいました」
2014年にワーキングホリデーの形で日本から飛び立ちました。この思いきった行動が、瀧見さんを家畜写真家へと導く直接のきっかけになります。まず酪農や畜産が盛んなカンタベリー平野の東端に位置する南島、その東海岸に位置する都市のクライストチャーチに入り、ここからぐるりと一周。
「ニュージーランドは第一次産業がとても強い国です。英語を学ぶことも目的の一つだったので語学学校に通った後、ファームステイ先で牧場や畑仕事の他、サクランボ農園、リンゴ農園などの第一次産業に携わりました。それと学生時代からの趣味だった一眼レフカメラも持参して、牧場などで動物の写真をいっぱい撮っていたんですよ」
家畜と命、食を深く考えるきっかけは子牛の安楽死
ワーキングホリデーのビザは最長で1年、第一次産業従事者はこれに3か月の延長(申請条件あり)が許されるため、瀧見さんは当地に1年3か月滞在しました。
そうして帰国を1か月後に控えたある日、生まれたばかりの子牛を安楽死させるというショッキングな現場に立ち会います。瀧見さんはこれを境に家畜と命、食に対して深く考えさせられるようになりました。
「放牧地で衰弱した子牛が見つかりましたが、救命は難しいとの判断で射殺されたのです。ニュージーランドでは苦しむ時間を短くするため、安楽死をさせてあげるのが動物福祉の考え方。想像すらしたことのない安楽死にはびっくりして、自分の中では一大事でした。
日常口にしているお肉が家畜動物であることは理解していますので、見方を変えると子牛は本来の使命を果たすことなく亡くなったのです。この子の命は何のためにあったのだろうと考えると、“食”という使命を全うする家畜動物がいる一方で、それができずに亡くなる命があることに胸を痛めました」
1年3か月の滞在中は牧場や農園などで動物や果物、野菜とふれあい、第一次産業に携わりたいという思いがますます募っていったそう。起業家が多く、国民が自由に生活しているニュージーランドの文化、慣習に大きな刺激を受けたワーキングホリデーでした。