仕事・人生
生後間もない子牛を安楽死…衝撃受けた女性が“家畜写真家”になるまで 「命を伝えたい」
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家畜写真家へ一歩一歩近づいていく日々
ただ帰国後も、従事したい仕事や働きたい企業などはっきりした展望はありませんでした。「何をしようかなんてまったく考えていなかった」そうで、3つの異なる職種に就いたものの、いずれも短期間で離職します。
帰国後にまず、北海道別海町の酪農家でボランティアとアルバイトをかけ合わせた“ボラバイト”を1か月、次に動物の病理検査に関する仕事を1年。続いて、ホルスタインの専門誌を発行する出版社に半年ほど勤務しました。この出版社こそ瀧見さんが希望した通りの仕事に思えますが、“牛”と“撮影”に関われるといっても業界向けの刊行物。一般の人には認知されておらず、ここでも本意を遂げることができませんでした。
家畜写真家に転身したのは、ニュージーランドから帰国して2年後の2017年8月。本望であるこの職業にどうして就けたのでしょうか?
「ニュージーランドでのファームステイで少し近づき、酪農家のボラバイトでまた少し近づき、病理検査でぐいと近づき、出版社でさらに近づいたのだと思います。いろんな仕事を経験し、自分がやりたいのはこれじゃない、これじゃないと試していった結果、出版社時代に思いついたのが家畜写真家でした」
ニュージーランド滞在中はフェイスブックに写真を投稿。中でも牧場の写真が好評を博し、牧場主にも喜んでもらえました。それが強く印象に残っていたことに加え、第一次産業にどうやって関わるかを熟慮した時、手段として思い浮かんだそうです。
「子牛の安楽死に直面し、食べ物には家畜動物の命があることを伝えたいという思いが強くなりました。私はしゃべることがあまり得意ではなく、言葉で発信すると語弊が生じる恐れもあります。しかし、写真なら見た人なりの答えを見つけてもらえると考え、自分の得意な家畜動物と写真を結び付けたわけです」
極めて珍しい家畜写真家という肩書き。「このネーミングを思いついた当時、私が調べた限りでは存在していなかった」と語ります。
また、瀧見さんは自宅で動物を飼ったことはないものの、子どもの頃から動物好きでした。さらに北海道の郊外をドライブしている時、放牧された牛の情景があちこちで現れる度に撮影していたそう。後年友人から「牛がすごく好きだったよね」と言われ、「そうだったなぁ」と思い起こすこともしばしばあります。
日本40か所から届いた撮影依頼 豊かな表情の家畜たち
そうして2017年8月、はちきれんばかりのエネルギーを注ぎながら「家畜写真家」として本格的なスタートを切りました。まずはニュージーランド時代の写真をSNSに投稿したり、自身のウェブサイトを自ら制作したりのプロモーション活動から。SNSは思った以上に反響が大きく、日本各地の牧場オーナーから撮影依頼が相次ぎました。
こんなうれしい“誤算”を受けて、クラウドファンディングも立ち上げました。たくさんの人々から支援が集まり、北海道から沖縄まで国内約40か所の畜産家、酪農家を回って撮影した2018年秋の「日本一周農家旅」につながっています。
「ただただ楽しくてやっていただけなので、皆さんに(SNSを)見つけていただき、とても運が良かったのだと思います。また、家畜写真家として独立した当初からのコンセプトである『“いただきます”を世界共通語へ』に、多くの方々が共感してくださいました。これが何といっても一番の喜びです」
わずかな期間でたくさんの人々から支持された瀧見さんの家畜写真。そこに収められた牛や豚、鶏の表情や佇まいから、彼女の“生”に対する情愛が伝わってくるのが、その理由かもしれません。
1991年生まれ、北海道札幌市出身。大学卒業後は銀行員となったが1か月で退職し、ワーキングホリデーでニュージーランドに渡航。牧場などで働く中で子牛の安楽死を目の当たりにし、動物と食と命について考える。1年3か月の滞在を経て帰国するが、3つの異なる職種に従事したものの退職。2017年8月からは「家畜写真家」として全国各地の畜産家や酪農家を回り、牛や豚、鶏を撮影。昨年まではAKAPPLE(アカップル)の名義で活動していたが、今年から「タキミアカリ 家畜写真家 Artist」として家畜動物とふれあっている。
インスタグラム:akapple29
(河野 正)