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仕事・人生

宝塚の歴史で燦然と輝く「華の71期」 元星組トップ稔 幸さんが語る音楽学校時代

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・瀬谷 宏

インタビュアー:竹山 マユミ

入団して初めて出会った「苦手な人」 自分自身と闘う日々

素敵な笑顔を見せてトップスターの頃の思い出を語った稔さん【写真:荒川祐史】
素敵な笑顔を見せてトップスターの頃の思い出を語った稔さん【写真:荒川祐史】

竹山:同じ時代に同じ苦労をして、自分を向上させることを続けてきたからでしょうか。

:私も正直、中学と高校時代は芸術家を目指していた経緯もあって、自分のことに没頭していました。今やりたいことをやりたいように生きてきた人間で、あまり人に興味がなかったのです。でも宝塚に入って初めて、「苦手な人」が自分にもいるのだなと感じました。でも苦手な人ができた分、とことん好きな人もできたのです。そういう不思議な体験をしましたね。何というか、自分がやっと人間社会に入れたというか。

竹山:苦手な人とはどのように接していたのですか。

:苦手に思うのは仕方がないことなので、その人の良いところを探して自分の力に変えていくようにしました。また、先輩からは見た目についてもいろいろと厳しく言われることもありました。その時もどうしたら素敵に見えるのかと、衣装の着こなしを工夫してみたり、鏡をひたすら見たりして自分と闘うみたいな感じでした。

竹山:でも、そういうことを言ってくださるからこそ、自分を見つめてポジティブになれるのでしょうね。

:当時のお客様やファンの方から、観劇後にその日の感想を教えていただきました。すごく厳しい言葉もあり、的確な意見に耳が痛いこともいっぱいありましたが、それを受け入れるかどうかで自分が先に進めるかが決まる……そんなことを思っていました。とはいっても、だんだんと「私はダメなのかな」みたいに傾いていく時もありましたけどね。

竹山:そういう時はどうやって立て直したのですか。

:本当に自分がやりたいことだけに邁進していくと、壁には絶対ぶち当たります。その時に「あの方はこう言っていたな」「あの先輩はこうされていたな」と思い出すのです。女性があそこまで極めて、ああした世界を作り上げていく宝塚の世界って唯一無二じゃないですか。だから、宝塚の美は宝塚の先輩から学ぶしかない。自分が行き詰まったら、自分が素敵だなと思う上級生から盗むしかない。そうやってコツコツやっていく以外はないのだなと。

竹山:すごく凝縮した時間の中で自分を高め続け、観客に見せられるところまで持っていくのはすごいことですね。

:やっぱり舞台が好きだったんですよね。でも、宝塚音楽学校の受験を決めた時、兄に「好きなことを仕事にしたら苦しむかもしれないよ」「本当にそれでもやるつもりだったら覚悟決めて受験すれば」と言われました。それを感じたことはありますね。

 好きなことだから、仕事になった瞬間に「好き」だけではいられないこともあるでしょう。でも、そこをある程度は自分でうまくコントロールして、本当に突き詰めていったことで、何にも変えがたい大きな光を掴めたような気がします。

憧れの紫苑ゆうさんとの出会い 間近で学んだ舞台作りの空気感

トップスター当時と変わらぬ華麗な立ち姿の稔さん【写真:荒川祐史】
トップスター当時と変わらぬ華麗な立ち姿の稔さん【写真:荒川祐史】

竹山:目標にされていた先輩、印象深かった先輩はどなたでしたか。

:私は本当に宝塚を知らなかったので、音楽学校に入ってから初めて個々のスターさんを見る目を持つことができました。当時はすでにスターさんがそれぞれ個性を持っていて、麻実れい(雪組・56期)さんや大地真央(月組・59期)さんといったビッグスターさんがいらした時期です。皆さん素敵で、それを目の当たりにできたのはすごくラッキーでした。だから誰がすごく好きというよりも、いつも宝塚のスターさんのすごさに圧倒されていました。

 予科生の時、「宝塚にせっかく入ったんだから誰かのファンになった方が楽しいよ」と同期生に言われたんです。当時のトップスターには日向薫(星組・62期)さんやダンスの素敵な大浦みずき(花組・60期)さんがいらして、どうしようかなと。

 すると他の同期生から「紫苑ゆう(星組・64期)さんにちょっと似ているね」と言われました。どんな方だろうと思っていたら、とても素敵にバレエを踊るシーンを拝見して、バレリーナに憧れていたこともあったので「じゃあ、私は紫苑ゆうさんにする」って。

竹山:では入団後、星組に配属された時は……?

:もう狂気乱舞でした。「運命だ~」と思って。「お手伝いさせてください」と直接申し出たんです。組によって違うのですが、星組の場合は名乗り出るスタイルでした。

竹山:紫苑さんからはどんなことを学びましたか。

:紫苑さんは私と違って、とことん宝塚を愛している方です。私は宝塚に入り込んでいない感じでしたから、「宝塚を愛さなくてどうすんねん」って神戸弁でいつも怒られていました。学ばせていただいたのは、舞台に上がった瞬間に作り出す類まれな空気感です。普段の姿を知っているので、舞台に出た瞬間にどうやって世界観を作り上げていくのかを研究しました。

竹山:当時の星組は個性の違う方が揃っていましたね。

:そうですね。私が星組に配属された時は峰さを理(58期)さんがトップで、歌のレッスンを10か月くらいしか受けず宝塚に入った私は、峰さんの歌を聞いた時に「あんな風に歌える人になりたい」と思いました。そして、新人公演で主演させていただいた4作品の本役さんは、とてもファッショナブルでポップなイメージの日向薫さんでした。

 日向さんは、紫苑さんとはまったく違うタイプのスターさんなので、それがかえって良かったというか。自分にない色を持っていらっしゃるスターさんからは、より多くのことを学ばせていただいた気がします。宝塚という狭い世界の中で、スターさんによってこんなにも一つの作品に対してのとらえ方や、歌に対する姿勢などが何もかも違うのだなと。自分の中で視野が狭くなっていることは反省しましたし、しっかりと幅を広げて宝塚以外にも目を向けていこうと思いました。

竹山:本公演でも徐々に大きな役がつくようになり、責任感や緊張感がそれまでと違うものになっていったと思います。何年目くらいからそうしたことを意識されましたか。

:そうですね、やっぱり最初に思ったのは、新人公演で初主役をいただいた時ですね。でも、そこで一つの“夢”が叶ってしまったので、ある思いが生まれてしまいました。

<次回に続く>

※7日15時25分に記事の一部を修正しました。訂正してお詫びします。

◇稔 幸(みのる・こう)
東京都出身。1985年、宝塚歌劇団入団(71期)。愛称は「ノル」。花組公演「愛あれば命は永遠に」で初舞台を踏み、その後は星組に配属。1998年に星組トップスター就任。お披露目公演は「WEST SIDE STORY」。その後「我が愛は山の彼方に」「黄金のファラオ」「風と共に去りぬ」「花の業平」など、宝塚が誇る数々の代表作に出演。サヨナラ公演は2001年「ベルサイユのばら―オスカルとアンドレ編―」。退団後は、俳優や歌手、b-i Style特別講師、ラジオパーソナリティ、振り付け、イベント企画などで幅広く活躍。現在は主にトークショー、コンサートに出演。また、画家やイラストレーター、ガラス工芸作家としても活動している。

○出演情報
「峰さを理追悼チャリティコンサート~愛の旅立ち~」
【日時】7月22日(金)午後5時、23日(土)午後1時/午後5時、29日(金)午後5時
【会場】宝塚バウホール(22、23日)、日本青年館ホール(29日)
シアター・ドラマシティ30周年記念コンサート「Dramatic City“夢”」
【日時】9月9日(金)午後1時/午後6時、10日(土)午後2時、16日(金)午後2時/午後6時、17日(土)午後1時、18日(日)午後1時
【会場】東京建物Brillia Hall(9、10日)、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ(16~18日)

(Hint-Pot編集部・瀬谷 宏)

(インタビュアー:竹山 マユミ)

竹山 マユミ(たけやま・まゆみ)

明治大学卒業。広島テレビ放送のアナウンサーを経てフリーアナ、DJとして各テレビ局やラジオ局で番組を担当。コーピングインスティテュート コーピング認定コーチ。宝塚歌劇団は生まれる前から観劇するほどの大ファン。