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綾瀬はるかの“言い切り言葉”が光る『はい、泳げません』 人が体を鍛える理由とは
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綾瀬が放つ「言い切りの形」の言葉に感じる説得力
薄原の教え方は独特だ。「浮こうとするんじゃなくて浮いちゃう。生きようとするんじゃなくて生きちゃう。流れに身をゆだねてください」とまるで小鳥遊が教える哲学の、“生きる”というテーマに対する答えのように指導する。
そして薄原は、小鳥遊が一つできるようになると、大げさに肯定する。薄原の肯定は迷いがない。生徒を全面的に認める。そして言い切る。例えば、「水の中では外の世界を忘れていい」のだと。
綾瀬が放つ、そうした「言い切りの形」の言葉は、根拠があってもなくてもなぜか説得力がある。現在、放送中の主演ドラマ「元彼の遺言状」(CX系)の弁護士・剣持麗子も、刑事と犯人の魂が入れ替わる「天国と地獄~サイコな2人~」(2021・TBS系)の刑事・望月彩子も、恋愛とは違う次元で間もなくこの世を去る男性と結婚し、子どもを育てる「義母と娘のブルース」(2018・TBS系)の岩木亜希子もそうだ。
奇想天外な設定に人間味を加え、唐突なセリフに説得力を持たせる。「セリフの意味がちょっと分からなくても、そういう人なんだと思って演じている」と綾瀬は言う。「そういう人」という割り切りが、スッと彼女を役に憑依させるのかもしれない。綾瀬のセリフの説得力に賛同する長谷川は大河ドラマ「八重の桜」(2013・NHK)でも共演しているが、彼女が役へと入っていくスイッチが「どこでどう入るのかは今回も分からなかった」ようだ。
セリフの説得力に加え、綾瀬と水の親和性も大いにドラマを醸した。撮影は、9割方プール。水泳のコーチなので当然と言えば当然だ。綾瀬はクランクイン前からクロールの練習を始めたが、渡辺監督の思いつきで撮影が始まってから4種目泳いで見せることになったという。水泳のコーチとしてだ。そんな急な演出変更があったとは思えない見事な泳ぎを、綾瀬は見せている。
人生で経験するつまずき 自分なりの充足感を得られる行為とは
運動によって筋肉を鍛錬させることはメンタルケアにも効果的だ。半永久的に右肩上がりが求められる社会においては、“成功”するのは当然のこと。だから、失敗すれば立ち直れないくらい糾弾されることはあっても、うまくいっていることをわざわざ褒めたりはしない。
にもかかわらず、必ずしも成功するとは限らない。仮に成功したとしても人が多く関わる中で、自分が采配できることはほんのわずか。達成感などそうそう味わえるものではない。自分の人生なのにベストな采配をすることができない。小鳥遊を苦しめるのもそんな感覚だ。
そんな小鳥遊が、最も手軽に、確実に、達成感を味わえたのが運動……水泳だったのかもしれない。ささやかであったとしても、何のために行うのか目標を決め、それを達成することで充足感を得ることができる。「大切なのは自分なりの充足感を得ること」。『はい、泳げません』は、そんな「誰でも知っているさ」と言いたくなるような大切なことを、改めて気づかせてくれる。
なぜ人は生きるのか? 哲学を教える小鳥遊はこういう。「日々新しい発見があるから人は生きていくのだ」と。小鳥遊にとって、筋肉が泳ぐ形に変化していくこと、水の中が恐怖でなくなったことは新しい発見だった。加えて、水の中で泣くと誰にも気づかれない上、心の緊張をも解きほぐすということも。
人は1人で生まれ、生き、死んでいく。ただし人生は長い。心の平安は必須だ。平安を得るためには肉体を動かして「よく動いたね」と自己肯定してあげることが重要なのだと、この映画は静かに語る。そして、できれば誰かに肯定されることも。
50代になって運動をする人が増える理由は、自分または他人に肯定されることが“自然治癒力”を高めると気づくからなのかもしれない。
『はい、泳げません』TOHOシネマズ 日比谷 他にて全国ロードショー公開中 配給:東京テアトル、リトルモア (c)2022「はい、泳げません」製作委員会
(関口 裕子)
関口 裕子(せきぐち・ゆうこ)
映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」取締役編集長、米エンターテインメントビジネス紙「VARIETY」の日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを歴任。現在はフリーランス。