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330人の中から選ばれた子役・大沢一菜 『こちらあみ子』で塗り替えた少女像とは

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

主人公はどんな存在なのか? 読み解くヒントは過去の名作に

(c)2022『こちらあみ子』フィルムパートナーズ
(c)2022『こちらあみ子』フィルムパートナーズ

 劇中、そんなあみ子を、森井監督がどんな存在として描こうとしているのか示唆するような場面が2つある。

 一つは、ルネ・クレマン監督の『禁じられた遊び』(1952)よろしく、あみ子が庭にお墓を作るシーン。『禁じられた遊び』の舞台は、戦争で命を落とす人が増え、子どもの世界でも十字架が日常的なものとなる1940年のフランス。死を理解しない孤児の少女ポーレットは、ミシェル少年と作った自分たちだけの墓地に美しい十字架が増えるのを単純に喜ぶ。

 もう一つは、『フランケンシュタイン』(1931)の一場面が映し出されるシーン。この作品といえば、『禁じられた遊び』と同じく1940年を舞台にしたビクトル・エリセ監督の『ミツバチのささやき』(1973)だ。

『ミツバチのささやき』では、姉と『フランケンシュタイン』を観たアナが、姉から「退治されたフランケンシュタインは死んでおらず、『私はアナ』と名乗れば精霊となって現れるのだ」と教えられる。やがてアナは脱走兵と出会い、よかれと思ってやったことで彼を死に至らしめる。無自覚な彼女は夜の闇に向かって「アナよ」と呼びかける。

 どちらの少女も「“死”を理解していないことで他者を窮地に落とし込む」という、無知ゆえの無自覚な罪を犯す。ただ上記の2作品は、少女の無知を糾弾するものではなく、彼女たちの生きる世に戦争をもたらした多くの人々の無自覚さを問う作品だ。

 あみ子も無自覚ではある。でもポーレットやアナと決定的に違うのは、自分の罪を知ろうとし、創り上げた空想上の世界に自ら別れを告げ、自分なりの未来を切り開こうとするところだ。これまでの多くの映画が、無知な少女を神聖なものとする(先述の2作品ではない)愚行を犯してきたが、『こちらあみ子』は最後まであみ子を1人の人間として描く。

 あみ子は、「女の子」であり、「娘」であり、「小学生/中学生」であるという“本質”からははみ出しているが、「自分自身である」という“実存”を明確にしていこうという姿勢を見せる。彼女の家族が、「父親」であり、「母親」であり、「兄」であり、「家族」であるという“本質”に縛られて壊れていくのとは逆に。

 そう。彼女の周りにいる人々が立ち直れないくらい壊れてしまう理由の一つは、“本質”に縛られすぎているからなのだと思う。

 私たちは気づくと、こうあらねばと社会が求める“本質”に縛られ続けてきた。しかしその社会が寛容さを失い、何事にも自己責任を求め、安心して身を置けない世界へと変化した今、「自分自身である」ことを改めて考える必要があるのではないかと感じた。

大沢一菜の“自意識”が感じられない演技 観客に残す痛烈な印象

 映画が始まってすぐ、ダイニングの椅子の上で伸びをしていたあみ子がゆっくりと滑り落ち、居間に移り、ミカンを取って投げるシーンが長回しで描かれる。ミカンは投げられては床に落ち、投げられては床に落ちする。やがて暗転。あみ子の誕生日の場面が展開する。

 この長回しを見ながら感嘆したのは、大沢一菜に“自意識”がまったく感じられなかったこと。あんなに難しいことを、なぜ演技未経験の彼女がさらりとやってのけることができるのか! 11歳(撮影時)だからこそともいえるが、“自意識”が強い子役は山ほどいる。

 なぜ彼女があみ子を生きることができたのか? それは大沢一菜もまた“実存”で生きているからなのだろう。そして若くしてそこにたどり着いたことこそが、彼女の才能なのだろう。

 森井監督は、大沢一菜の起用理由を「一目惚れでした。オーディションの会場で初めて見た時、直感的にこの子だと思えました」と言っている。彼女の名前を忘れないでおきたい。彼女の創り出す未来が見たいと痛切に思った。

 あみ子たちは、思い思いの色のランドセルを背負って小学校に通う。別に論争もあるが、今のランドセルとはこんなにも自由なのだとそのカラフルさを見て思った。そのランドセルの色くらい、人はそれぞれ違う。そうみんなが実感できたら状況は異なってくるのかもしれない。

『こちらあみ子』7月8日より新宿武蔵野館ほか全国順次公開 配給:アークエンタテインメント (c)2022『こちらあみ子』フィルムパートナーズ

(関口 裕子)

関口 裕子(せきぐち・ゆうこ)

映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」取締役編集長、米エンターテインメントビジネス紙「VARIETY」の日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを歴任。現在はフリーランス。