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のんがさかなクンを演じるべき大きな理由 『さかなのこ』にあふれる“好きを貫く力”

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

「女性とか男性とかどうでもいい」 “好きを貫く人”を肯定し続ける映画

(c)2022「さかなのこ」製作委員会
(c)2022「さかなのこ」製作委員会

 でもそれはとても大切かつうらやましいこと。我々は大抵、熱中するものを欲し、何かを生み出したいと思いつつ、できずにいるから。ミー坊役をのんでいきたいと考えたのは沖田修一監督だ。熱中するものを持つミー坊とのんに、どことなく似ているものを感じたのだそう。

 沖田監督と幼なじみであり、『横道世之介』(2013)の共同脚本でもある前田司郎は、のんを想像しながらミー坊像を作り上げた。熱中するものがある人、周りと違う才能を持つ人は「変な誤解から誰かの嫉妬や悪意にさらされて、つまはじきに遭う可能性もある」と前田は言う。

 前田はこの映画でそんな不条理な状況も当然のように取り入れる。でもそれを託されるのはのんではなく、さかなクン演じるギョギョおじさん。ミー坊はそんなギョギョおじさんとの出会いを経て、一層自身が揺らいではいけないことを学ぶ。沖田・前田コンビはそんな風に、好きを貫く人を肯定し続ける。

 男性であるさかなクンをのんが演じることも、沖田・前田コンビにとって問題ではなかった。魚には雌雄同体の種類や性別が変化する種類がいると、さかなクンから聞いた沖田監督は、「女性とか男性とかどうでもいい」という発想に至ったからだ。

 その発想はのんを「ドキッ」とさせ、ミー坊の人格を「かっこいい」と思わせ、「魚が好きな人として演じればいいんだ」とヒントを与えた。

 そこものんが持つポリシーと共通しているのだろう。のんが「創作あーちすと」を名乗るのは、たぶん自分をどこかにカテゴライズされることなく、ものを生み出すため。それができる舞台を作り出せた本作だからこそ、ミー坊を演じるのんは屈託なく輝いて見えた。

熱中するものがある人も、そうでない人も

 でも映画を観ていると、そこにはミー坊を全肯定する母親の存在があることを強く意識せざるを得ない。母親を演じたのは井川遥だ。

 学校の先生から、勉強もきちんとするように家で指導するように言われた際、「あの子は魚が好きで、絵を描くことが大好きなんです。だからそれでいいんです」とミー坊のすることをきっぱりと認める。井川が放ったこの言葉は、心の中の小さな箱に大好きを閉じ込めたすべての人を救ったような気がした。井川遥の仕事の素晴らしさはまた別な機会に。

 映画では魚に熱中し続けるミー坊が、周囲の人を変えていく。要するにこの映画が言いたいのは、熱中するものがある人も、そうでない人も、どちらも等しく認められるべきだと、さまざまな生き方があるべきだと理解が進むことなのだと思う。

 ミー坊は好きを貫くことにめげることはない。でも、もしかするとさかなクンには、心が折れそうになる瞬間もあったかもしれない。そんな想像の余地を残すのも沖田監督の作風であり、面白さだと思う。

『さかなのこ』TOHOシネマズ日比谷 ほかにて全国ロードショー公開中 配給:東京テアトル (c)2022「さかなのこ」製作委員会

(関口 裕子)

関口 裕子(せきぐち・ゆうこ)

映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」取締役編集長、米エンターテインメントビジネス紙「VARIETY」の日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを歴任。現在はフリーランス。