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宮沢りえが『アイ・アム まきもと』にもたらすリアルとは 50代を前により光る存在感
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10代の頃から絶大な影響力 押しも押されもしない主演女優に成長
映画初出演作は1988年。宗田理原作の映画化『ぼくらの七日間戦争』のヒロインだ。この時、たった15歳。2019年に作られたアニメーション版には、かつてこの映画に感化された若者たちからのオマージュの意味があったというくらい、宮沢には影響力があった。
1989年には「ふんどしカレンダー」が、1991年には篠山紀信が撮り下ろしたベストセラー写真集「Santa Fe」(朝日出版社刊)が出版され、宮沢は大きな塊に押し上げられるように上り詰める。たぶん18歳の彼女には考える時間など微塵もなかっただろう。
ものすごい力で子ども時代を奪われた宮沢りえが、再び演じるという仕事の現場に戻ってきたことすら、すごいことだと思う。しかも自身の意思を持って。
その先駆けとなったのは、ヨン・ファン監督の香港映画『華の愛~遊園驚夢』(2001)。同作で宮沢は、モスクワ国際映画祭主演女優賞を受賞した。そして第76回米アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた、山田洋次監督『たそがれ清兵衛』(2002)でも高い評価を受けた。
2004年には黒木和雄監督『父と暮らせば』、市川準監督『トニー滝谷』に主演。押しも押されもしない主演女優へと成長したことを裏付けるエピソードとして、こんな話がある。
『トニー滝谷』の共演者であるイッセー尾形。彼はぼやいている風を装いながら、市川監督にこんな話をした。「自分が芝居をすると作為が見える。それを排除することの難しさを味わっている時に宮沢さんを観ると、いとも簡単にやってのけていて悩みが増した(笑)」と。