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「生きてほしいと願うばかりが愛じゃない」 笠井アナが語る“がん患者が見ているもの”
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自分ががん患者になったら、または家族が末期がんを告知されたら
――患者と程よい距離を保ちつつ寄り添うエデ医師は理想的な医師ですよね?
本当に。なぜこんなに彼の演技が素晴らしいのかと聞くと、「普段やっていること、言っていること、寄り添い方をそのまま披露してもらったから」とベルコ監督は言っていました。セザール賞(フランスで最も権威がある映画賞)最優秀主演男優賞を取ったバンジャマン役のブノワ・マジメルやカトリーヌ・ドヌーヴと、本物の看護師さん、医療関係者が共存する不思議な作品。医療の部分はほぼノンフィクションだそうです。
つまり、フィクションの中にノンフィクションが入っている。そこが、この映画の大いなる魅力であり、私たちがいろいろと気づかされるところ。がん患者本人は自分の最後をどうまっとうしていけばいいのか。そして家族はどう見送ればいいのかという重要なことが、この映画には描かれている。すべての患者と患者の家族、そして医療者に気づきを与える映画ですね。
エデ医師ことサラ医師の言葉は本当に金言だらけ。一冊本ができるんじゃないかというくらい、素敵な言葉と寄り添いにあふれています。自分ががん患者になったら、または自分の家族が末期のがんを告知されたら、こんな風にできたらいいなという理想であり、現実が描かれている。そこが、これまでの闘病映画と大きく違うと思います。
いつまでも生きてほしいと願うばかりが愛じゃない
――金言とおっしゃるように、例えばエデ医師の「嘘は禁物だ。大切なのは事実」とか、バンジャマンの演劇クラスの課題「存在感とは何か」など、それぞれのシーンで胸にしみる言葉がありました。笠井さんが気になった言葉は何ですか?
僕は、エデ医師が母親のカトリーヌ・ドヌーブに対して言う「旅立つ許可を与えましょう」という言葉です。抗がん剤治療は苦しいし、がんの症状も重くなってくると本当につらいんですけど、みんなそんな中で頑張っている。だから患者には「もういいかな」と思う瞬間があるように思います。それは諦めたのではなく、本当にやれることはやったと思うから。
でも家族は1日でも長く生きていてほしいと思っている。それもとても理解できる。ただ時に「旅立つ許可」が最大の贈り物となることもあるのも理解してほしい。なかなか言い出しにくい言葉ですけど。家族にとっての希望と、患者にとっての希望は違うことを気づかせてくれるわけです。
今の医療は進んでいるので、QOL(生活の質)が低下しても構わないのなら、生きてくれさえいればいいという形での延命が可能です。それが果たしてどこまで患者のためになるのか。僕にも、ちょっと諦めようと思った時期、人生に折り合いをつけようと思った時期がありました。僕の場合はやっぱり「生きたい」と思うようになったわけですけど。ただ、どうしても越えられない苦しさを味わってしまうこともあると思います。
例えば、自ら「抗がん剤治療をやめます」と言い、周りを焦らせた30代の末期がんの友人。抗がん剤治療を止めると延命が効かなくなるのですが、彼は家族と旅行に行くため、豊かな時間を過ごすために治療の中止を選んだのです。抗がん剤を打っていると旅行はきついので。友人はどう生きるかを自分で決め、家族がそれを認めた。
「命の限りを決めるのは患者自身なのです」とサラ医師も言いますが、そんな風に生き方を自分で選択することが大事なのだと思います。
この作品を観た方の大いなる気づきの一つに、たぶん家族がそうなった時にどうしてあげればいいのかということがあると思います。「旅立つ許可を与える」のは、本人が選択したことであっても、とても勇気のいること。
でもいつまでも生きてほしいと願うばかりが愛じゃない。だいたい揉めるのは、病気が患者から、家族の問題になった時。兄弟や突然やってきた親戚のおじさんなんかと揉めるんです。「何だもう延命しないのか」「あなたは関係ないでしょ」と。そういう人にこそ観てほしい映画ですね。
映画のタイトルである“愛する人に伝える言葉”は、患者本人が家族に何を伝えるのか、また家族が本人に何を伝えるかはもちろんなのですが、僕は、医師が患者さんを愛する人にどう伝えればいいのかという言葉のことだと思いました。
<中編に続く>
『愛する人に伝える言葉』新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座 他全国ロードショー公開中 配給:ハーク/TMC/SDP
(関口 裕子)
関口 裕子(せきぐち・ゆうこ)
映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」取締役編集長、米エンターテインメントビジネス紙「VARIETY」の日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを歴任。現在はフリーランス。