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夫の不倫相手と妻を描く『あちらにいる鬼』 観る者が震撼する広末涼子の“深み”とは

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

一般的に理解しづらい妻の行動を“納得させる”広末の芝居

 笙子を演じるのは、広末涼子。17歳の時、竹内まりやがプロデュースした「MajiでKoiする5秒前」でアイドル的存在となり、初主演した原将人監督の『20世紀ノスタルジア』(1997)で新人賞を総なめした。

 そんな広末も42歳。夫の新しい職業を受け入れられない新妻を演じた『おくりびと』(2008)の時とは異なり、本作では観る者を震撼させる“深み”を見せる。

 篤郎との関係が破綻し自殺未遂をはかった初子(蓮佛美沙子)を見舞い、「ごめんなさい」と謝っては「何で奥さんが謝るんですか? ずいぶん傲慢なんですね」と怒鳴られる笙子。出家した寂光とはもうこれまでの関係ではないのだと考え、泣く篤郎の気持ちにシンクロして涙を流す笙子。

 どちらの笙子の行動も一般的に理解しづらいのだが、広末のリアクションの芝居の機微に観る者は納得させられてしまうのだ。

 広末がインタビューで「笙子は相手の思いを反射する人間」なのだと言っている通り、彼女は篤郎と寂光という虚構の世界を描く小説家の間に存在し、2人を介して社会と接触しているのだと思う。

 映画の中で、笙子は白木名義で短編小説を何本か書いていることが描かれる。実際、井上荒野は、井上光晴著の「明日 一九四五年八月八日・長崎」(集英社文庫刊)にある長崎に原爆が投下される前夜、胎児に語りかける母親の描写など、何本かの小説は「母が書いたものだと思う」と語っている。

 笙子とは、自身でクリエイトする力を持ちながら、“発信することを拒んだ”人であったのだ。映画の中の笙子は「あなたが書いたことになっているからさらすことができるの」と篤郎に言う。人にはそれぞれの分があり、やり方がある。突出することだけが生み出すこととは限らない。笙子はそう生きることを望んだのだろう。

 演じた広末はそんな笙子を「笙子は篤郎を“自分”として感じている。彼と精神的に一体化することで、彼への理解と同時に自分自身の安息の場を探していた」のだろうと語っている。「笙子は篤郎であり、篤郎は“私”なのだから別れられない理由も、添い遂げる理由も明確なのだ」と。

井上光晴が「全身小説家」といわれるゆえん 妻の“手料理”が意味するものは

(c)2022『あちらにいる鬼』製作委員会
(c)2022『あちらにいる鬼』製作委員会

 篤郎にとっても笙子は“自分”だという意識があったと思う。演じた豊川は、「みはるといる時の篤郎は受身で、笙子といる時はこちらからしかけていきました」と語っている。みはるとは“小説家”という孤独を分かち合う関係であったが、笙子はともに小説を生み出すパートナーであったために、常に揺さぶりをかけ、関係性を新陳代謝させる必要があったのだ。

 同時に「自分自身だから遠慮がなかった」ともいえる。いずれにしても、彼が生きる上でこの2人の存在は不可欠だった。これが平穏な暮らしを自ら揺さぶり続けた井上光晴が「全身小説家」といわれるゆえんなのだと改めて気づいた。

 人はパートナーという存在を年齢に応じ、さまざまな役割で欲していくものだ。性的な結び付きを求めるパートナー、経済力をつけていくパートナー、人生を乗り切るためのパートナー。一人の人間がすべての役割を担うこともあれば、その時々に会うパートナーを見つけていくこともある。もちろんパートナーの分も自分自身でこなすことも。

 夫と生涯のパートナーでありながら、ある意味イーブンな“クリエイター”として生きようと試みた笙子の武器はたぶん料理だ。その証拠に本作には篤郎がその味を激賞する数々の心惹かれる手料理が登場する。中でも新居に招いた寂光に出した餃子は、笙子が多くの人の胃袋を掴んできた、最も強力な武器だったのではないかと思う。

『あちらにいる鬼』2022年11月11日(金)全国ロードショー 配給:ハピネットファントム・スタジオ (c)2022「あちらにいる鬼」製作委員会

(関口 裕子)

関口 裕子(せきぐち・ゆうこ)

映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」取締役編集長、米エンターテインメントビジネス紙「VARIETY」の日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを歴任。現在はフリーランス。