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香川照之主演『宮松と山下』 中越典子の一挙手一投足に感じる「震撼させられる」予兆

公開日:  /  更新日:

著者:関口 裕子

興味深い中越の配役 深く思考する場面を与える役割も

 藍を演じる中越には、一貫したイメージがある。NHK連続テレビ小説「こころ」(2003)のヒロインのはつらつさ、「特捜9」シリーズ(テレビ朝日系)の井ノ原快彦演じる浅輪直樹の妻・倫子や現在放送中の「ファーストペンギン!」(日本テレビ系)で漁師・片岡洋(堤真一)の亡き妻みやこらの優しさや頼もしさなどだ。

 でも本作で中越が演じる藍はそれとは異なる。目の前にあるもののみを見つめて生きる男たちの中にいて、1人真理を見つめようとしているとでも言ったらいいのか。真理を見つめていると感じたのは、決して藍が声高に何かを訴えたり、目を引く行動を取ったりするからではない。

 むしろ藍の話し方は遠慮がちであり、すべての行動に気配りを感じさせる。そばにいる者に恐怖を感じさせることも、威圧感を与えることも一切ない。でも、だからこそ彼女の細やかな言葉、一挙手一投足に耳目を集めるのかもしれない。

 監督である3人(関友太郎、平瀬謙太朗、佐藤雅彦)がなぜ中越をキャスティングしたのか事実は分からない。でもとても興味深い配役であり、それによって深く思考する場面がいくつも与えられた。そして中越のその優しげな容貌こそが、その丁寧な物腰こそが、藍が抱える“もの”に、きっと我々は震撼させられるのだろうという予兆をもたらしたのも事実だ。

藍が宮松に取り戻させたものとは

(c)2022『宮松と山下』製作委員会
(c)2022『宮松と山下』製作委員会

 宮松が失ったのは、たぶん地域や会社、家族など帰属する社会での役割や関係によって認識する“社会的アイデンティティ”。宮松の前に現れる男性たちの中では、より重要なものとして描かれる。

 一方、藍が宮松に取り戻させたのは、“私は私以外の何者でもない”という実存性によって認識する“実存的アイデンティティ”。それは自己肯定とも言い換えられるだろう。藍はそれを社会の中の役割より大切なものだと感じていることが伝わってくる。

“社会的動物”である人間にとって、自分がこの社会でいかなる存在であるのかを確認するのは重要なことなのだろう。これは、たぶん一度、社会的アイデンティティを崩壊させた宮松が、実存的アイデンティティの岸辺で目覚める。そういう映画なのだと思う。

 宮松が失っていたものは、手放してもいいものであり、それより大切なものがあることを思い出させた。そういうことなのだと感じた。

 ちなみに余談だが、先述の「ファーストペンギン!」の脚本は森下佳子。「JIN-仁-」(2009、2011・TBS系)、「おんな城主 直虎」(2017・NHK)、「義母と娘のブルース」(2018・TBS系)などの脚本家だ。このドラマの中の中越の役回りもまた興味深く、1人の俳優を通して作品を見る面白さも教えてくれる。

『宮松と山下』新宿武蔵野館、渋谷シネクイント、シネスイッチ銀座ほか全国ロードショー公開中 配給:ビターズ・エンド (c)2022『宮松と山下』製作委員会

(関口 裕子)

関口 裕子(せきぐち・ゆうこ)

映画ジャーナリスト。「キネマ旬報」取締役編集長、米エンターテインメントビジネス紙「VARIETY」の日本版「バラエティ・ジャパン」編集長などを歴任。現在はフリーランス。