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『ケイコ 目を澄ませて』で耳が聞こえないボクサー役 岸井ゆきのから目が離せない理由
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スカウトを経てテレビドラマでデビューし、NHK大河ドラマ「真田丸」(2016)やNHK連続テレビ小説「まんぷく」(2018)、「アトムの童(こ)」(2022、TBS系)などの話題作で印象的な輝きを放っている岸井ゆきのさん。映画でも初主演映画『おじいちゃん、死んじゃったって。』(2017)や第43回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した『愛がなんだ』(2020)などで高く評価されています。どの役でも観る者をはっとさせる理由は、一体どこにあるのでしょうか? 来年2月に31歳を迎え、まだまださらなる変化が期待される岸井さん。映画主演最新作『ケイコ 目を澄ませて』でも見えるその魅力を、映画ジャーナリストの関口裕子さんに解説していただきました。
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試合シーンの撮影前日だけ糖質を入れてボクサー体型に
先日、ボクシングの井上尚弥選手が、WBO世界バンタム級王者だったポール・バトラーに勝利して、史上9人目のバンタム級4団体世界王者となった。彼は「恐怖を感じたことがない」のだそう。どんな一流のボクサーでも「リングに上がるまでは怖くて仕方がない」と聞くが、井上選手が恐怖を感じないのはなぜなのか?
ボクサーの感じる恐怖に思いを馳せたのは、岸井ゆきの主演、三宅唱監督の『ケイコ 目を澄ませて』を観たからだ。この作品は、生まれつき聴覚に障がいを持つケイコ(岸井)が、ホテルの客室係として働きながら、プロボクサーとして自分の肉体と心に向き合い、鍛錬を重ねながら、日常に起きるさまざまな現実と対峙していく物語。
映画には「ボクサー」、「ろう者」というモチーフが出てくるが、主題はそこにはない。三宅監督が描こうとしたのは、そのどちらでもある「ケイコ」そのものだからなのだろう。
ケイコを演じる岸井は身長約150センチ。ケイコが試合をするクラス、45キロ級に体重が足りず、筋肉をつける形で増量。約2か月の糖質制限をし、試合シーンの撮影前日だけ糖質(炭水化物)を入れるカーボアップという方法でボクサー体型を作り上げたそうだ。彼女は、体から無駄な肉を排除し、戦うための筋肉だけをまとってスクリーンに登場する。
代表作『愛がなんだ』以降の岸井を大きく変えた作品
ケイコ役のオファーがあったのは、ヒロイン・福子(安藤サクラ)の姪・タカ役でNHK 連続テレビ小説「まんぷく」(2018~2019)に出演していた頃だったという。その後、今泉力哉監督『愛がなんだ』(2019)に主演。同作で第43回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、もう一つの主演作『やがて海へと届く』(2022)などを経て、本作に至る。
映画初主演作『おじいちゃん、死んじゃったって。』(2017)の時は、ベテラン俳優に囲まれており、それほど主演であることを意識せずに済んだそうだが、『愛がなんだ』は岸井の演じるテルコを通して、観客が“愛について”思考していく構成。嫌でも自分が映画を牽引する存在なのだと自覚せざるを得ない役を手にし、事務所の社長から「あなたの名刺になるような作品にしてきなさい」と背中を押され、覚悟を決めたという。
『愛がなんだ』は現在の岸井にとって名刺以上の作品だ。それ以降に出演した映画やドラマは、岸井を大きく変えたことが分かる。『ケイコ 目を澄ませて』はその最たる作品だ。
秋期のドラマ、TBSの日曜劇場「アトムの童」ではヒロイン・富永海を演じた。岸井の役は、昔からいる社員に“姫”と呼ばれ愛される、下町の老舗玩具メーカーの社長の娘。撮影順としては『ケイコ 目を澄ませて』の後に撮られたものだが、ケイコを引きずる要素はない。
ご覧になった方には、『ケイコ 目を澄ませて』での変化と、エネルギーを岸井がどこに、どんな形で蓄えたのかを、筆者同様に想像し、楽しんで、驚いてほしいという気持ちになる。まったく異なる2人を生きる岸井を見ていると、演技を仕事にするということがどんなことなのかが少しだけ分かる気もする。作品を観る時にそんな風に思うことは滅多にない。