仕事・人生
「旅するおむすび屋」を立ち上げた理由 拒食症を乗り越えた自分への感謝と全国をめぐって伝えたい思い
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「旅するおむすび屋」――。そこには、日本人が大好きな“おむすび”一つで人と人との縁を“むすぶ”という思いが込められています。地元の食材でおむすびを握るワークショップはどこへ行っても常に大盛況。会場には、おむすびを頬張る人々の笑顔があふれています。そんな「旅するおむすび屋」として全国各地をめぐっているのが菅本香菜さん。インタビュー前編では、食の魅力を伝える現在の仕事を始めるきっかけともなった、10代で患った拒食症について振り返りました。後編では「旅するおむすび屋」を始めた詳しいいきさつや、活動内容について語ります。
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不動産会社に就職後に気づいた思い 「食に関わる仕事がしたい」
中学2年生で発症した拒食症との闘いは6年間に及びました。しかし大学に進学後、回復へと向かっていきます。香菜さんが拒食症を患った原因の1つは、小学生の頃に人間関係がうまくいかなくなったことでしたが、大学生になり「人間関係において、もう絶対に1人になることはないなっていうのを感じられるタイミング」がどんどん増えていきました。そして、「自分のことを肯定してくれる場所がたくさんあることに気づけた」ことが大きかったと語ります。
中でも大きな転機になったのが、2011年に起きた東日本大震災でした。当時大学生だった菅本さんはボランティア活動に参加。勇気を持って一歩踏み出し、ボランティア活動をやってみると「こんな自分に対しても感謝してくれる人がいた。自分も世の中の役に立つことができるんだ」と気づいたそうです。
菅本さんは、このボランティア活動を通して自信を取り戻していきます。高校時代にはわずか23キロという低体重になり、医師から「このままでは死んでしまうよ?」と言われたこともありました。そんな自身の過去についても、少しずつ周囲に話せるようになっていったそうです。
「拒食症だった6年間は自分の中では恥ずかしい過去だと思っていたんですが、この6年があったからこそ大事なことに気づくことができた。そうやって逆に生かす方向に持っていった方が、自分の人生を楽しめると思ったんです」
大学卒業後は「伝える力を身につけたい」と、不動産会社の営業職に就職した菅本さん。それから約1年半が経った頃、大学で“食”について学んでいたこともあり、「食に関わる仕事がしたい」という思いが募っていきました。そのきっかけの1つになったのが、テレビで見かけたつくり手の特集と収穫したものがセットになった情報誌「食べる通信」(株式会社雨風太陽刊)でした。
「生産現場や生産者さんのことを知ることができると、食べることも大事になってくるし、楽しめるんじゃないか」と、菅本さんは一念発起。「くまもと食べる通信」に携わるため転職を果たします。こうして食に関わる仕事をするようになりました。
その後、「全国各地の食や地域を応援するような取り組みに力を入れていきたいから力を貸してほしい」という話を受け、クラウドファンディングを運営する株式会社CAMPFIREへ転職します。大人になると、何かやりたいことができた時に「できない」とか「やらなくていい」理由を探しがちですが、クラウドファンディングに挑戦する人の発想はその逆。周りは「どうやったらそれができるのか」を考えている人ばかり。菅本さん自身も考えさせられ、「自分も何かプロジェクトを立ち上げたい」と思うようになりました。
「『食べる通信』は元々食に興味がある方が利用するサービスでした。でも食に興味がある方だけではなく、例えば子どもたちや、忙しくて食にあまり向き合えていない方に対しても、食を伝える活動をしたいと思ったんです。それで立ち上げたのが『旅するおむすび屋』。おむすびだったら、子どもからお年寄りまで誰もが食べられるものですし、地方地域にはその土地の具材があって、地域らしさや食文化にも触れられるのが面白そうだなと思いました」