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仕事・人生

「旅するおむすび屋」を立ち上げた理由 拒食症を乗り越えた自分への感謝と全国をめぐって伝えたい思い

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・出口 夏奈子

ワークショップを通した新たな出会い おむすびで縁を結んで広げた活動とは

 当初は副業でスタートしましたが、気がつけば立ち位置は逆転し、2019年には「旅するおむすび屋」が本業になっていました。

 実は「旅するおむすび屋」を始めた当時、一緒にやっていた仲間はお米屋さんと一緒に活動していた人でした。菅本さん自身も「食べる通信」で熊本の海苔漁師さんを取材していたこともあり、全国の海苔漁師さんと知り合いでした。お米と海苔。相性が良い両者を結び付けたのがおむすびだったというわけです。

 当時のスローガンは、「おむすびから始めませんか」。日本人なら誰もが親しみがあるおむすびをきっかけに、食に興味を持ってもらいたい――。菅本さんは、「食に興味を持つということは自分に興味を持つことと同じなんじゃないか。そして食べる時間を大事にすることで、自分自身のことも大事にしてもらいたい」と、おむすびに込めた思いを明かしてくれました。

 活動のメインは、おむすびのワークショップ。地方地域に出向き、その土地の食材を使って、みんなで一緒にワイワイ楽しみながら、実験をするような感覚でおむすびを結ぶ。「自分が住んでいる地域にどんな食材があって、どんな方が作っているのか。意外と向き合うタイミングはありません。そこで、このワークショップをきっかけに楽しく気づける場を提供しているんです」と菅本さんは語ります。

ワークショップでおむすびを結ぶ菅本さん。おすすめの海苔と一緒に【写真:Hint-Pot編集部】
ワークショップでおむすびを結ぶ菅本さん。おすすめの海苔と一緒に【写真:Hint-Pot編集部】

 その中で、印象に残ったうれしい出来事がありました。それは、ある子どもが家に帰って「自分はおむすびが結べるんだ」と自慢してくれたこと。ワークショップに参加していた高校生が、今度は自分たちが主催者となって小学生に向けてワークショップを開いてくれたこと――おむすびで次々とむすばれていきました。

 ただ、コロナ禍でみんなで集まることが難しくなってしまった近年。「それならば逆にインプットの時間にしよう!」と思い立ち、昨年3月から全国各地をめぐり情報収集を始めたそう。それぞれの土地で得た食にまつわる情報を、いずれ書籍にまとめる予定です。他にも、活動に興味を示した企業とコラボして、全国各地の食材をスーパーマーケットで紹介するなど、その活動は多岐にわたります。

全国各地をめぐった先でおむすびを中心に笑顔が広がる【写真提供:菅本香菜】
全国各地をめぐった先でおむすびを中心に笑顔が広がる【写真提供:菅本香菜】

 拒食症を乗り越えた菅本さんだからこそ、伝えられることがあります。

「苦しい日々を乗り越えてくれたからこそ、今の自分があると思っています。あの時、拒食症を克服した自分に恩返しをするというか、そういった思いも含めて『旅するおむすび屋』の活動をしているのかなと感じています」

 10代の頃の自分自身に対して思うのは、「あの苦しい時期を乗り越えてくれてありがとう」という感謝の気持ち。そんな思いをおむすびに乗せて、菅本さんはこれからも食の大切さを全国各地に伝えていきたいと活動を続けています。

◇菅本香菜(すがもと・かな)
福岡県生まれ。小学生の頃に人付き合いがうまくいかないことに悩み始め、中学生になると食事を取れなくなってしまい拒食症に。最低体重は23キロと小学低学年女児並みになり入院。しかし高校2年生を2回経験したこと、大学入学を機に一人暮らしを始めたことで、環境が激変。普通に食事を摂れるまでに病気が回復した。大学卒業後は不動産会社の営業職に従事し、その後、元々食に興味があったことから「食べる通信」「株式会社CAMPFIRE」を経て「旅するおむすび屋」として独立。地方をめぐりながら、地方独自の食とおむすびを組み合わせるワークショップを開催。いろんな縁を“おむすび”で“むすぶ”「旅するおむすび屋」として多くの人々を笑顔にしている。

(Hint-Pot編集部・出口 夏奈子)